豊臣家への義を貫いた毛利勝永 大坂夏の陣で真田幸村しのぐ大奮戦

2014.10.31


イラスト・奈日恵太【拡大】

 2016年のNHK大河ドラマは、「真田丸」に決定している。確かに真田幸村といえば戦国武将のなかでも屈指の人気者だ。しかし、大坂の陣において、幸村と並んで大坂方の主力部隊を率い、幸村をもしのぐ奮戦を見せた、毛利勝永(かつなが)の名が語られることはなぜか少ない。今回は、そんな勝永にスポットを当ててみたいと思う。

 勝永は、尾張国に生まれ、父の勝信(かつのぶ)とともに羽柴秀吉の家臣となった。父が小倉城主となると、勝永も豊前国内に4万石を与えられ、朝鮮出兵などで活躍を見せた。関ヶ原の戦いが起こると、父とともに西軍に参戦。伏見城の戦いでは目覚ましい戦功をあげたとして、毛利輝元と宇喜多秀家から感状を贈られている。

 しかし、関ヶ原本戦で西軍が敗れると、黒田官兵衛が小倉城にいた勝信に対し、降伏を促してきた。旧知の官兵衛の説得に応じ、頭を丸めて徳川家康への恭順を示し、何とかわが子勝永のリストラを免れようとした勝信だったが、事態はそう甘くはいかなかった。結局、父子ともども改易となり、肥後へ追放されてしまう。

 リストラされた毛利父子の身を預かったのは、土佐の山内一豊(やまうち・かつとよ)だった。かつて豊臣家の家臣だった当時、上役だった勝信が一豊の世話をしており、毛利父子に恩を感じていたようだ。

 そんな縁から、リストラの身とはいえ、山内家に厚遇され、父の勝信は土佐の地で静かに生涯を閉じている。しかし、大坂の陣に際して、豊臣秀頼に招かれた勝永の心は大きく揺れた。結局、大恩ある豊臣家に報いるべく、土佐を脱出して息子とともに大坂城に向かうことを決意したのだ。

 このとき、城に残って人質にされることを、妻と娘にわびた勝永に対し、「恩に報いるのは家の名誉です。我らのことは心配しないで」と、妻は殊勝に夫を送り出したという。

 大坂冬の陣では、守備隊として活躍。続いて大坂夏の陣で、敗色濃厚ななか、毛利隊は秋田実季(さねすえ)、榊原康勝(やすかつ)ら、敵の主力部隊を続々と退け、ついには徳川家康の本陣にまで突入するという大奮戦を見せた。しかし、真田隊が壊滅したために孤立し、四方から敵の猛攻撃を浴びせられて無念の撤退を余儀なくされた。

 それでも、退却しながら藤堂高虎(たかとら)隊を打ち破るなど、際立った強さを見せている。そして秀頼の介錯を行った後、静かに自決して果てた。土佐で余生を終えず、義を貫いて立派に戦い抜いた末の、見事な最期だった。 (渡辺敏樹/原案・エクスナレッジ)

 

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