わが麻布グルーブの「A」、イ・アイ・イ・インターナショナルの「I」(正確にはエレクトロニック・アンド・インダストリアル・エンタプライゼスで「EIE」になるのだが)、第一不動産の「D」、そして秀和の「S」の頭文字から、バブル経済崩壊後に不動産がらみで経営破たんした4社は「AIDS」と名づけられた。私はそれぞれの経営者と親しかった。
そのひとり、第一不動産の佐藤行雄さんは、ニューヨークのティファニー本社ビルを買収するなど海外にも進出した。1982年には不動産担保ローンを始め、子会社にノンバンクの第一コーポレーションも抱えていた。
このノンバンクをスタートさせたころ、よく私のところに「ウチのカネを使ってよ」と勧誘しにきた。「銀行が貸してくれるから、いいですよ」と断っていたが、その後、金融引き締めがあって銀行が貸さなくなったとき、少し借りた。
私の会社と同じく、第一不動産はバブル崩壊で資金繰りが悪化、結局2007年、倒産した。佐藤さんは09年に亡くなった。85歳だった。
一方、05年に59歳の若さで亡くなったのが、イ・アイ・イの高橋治則さん。慶応大学を卒業後、日本航空を経て、磁気テープなどの電子部品輸入商社だったイ・アイ・イの経営を立て直して社長に就任し、会社をリゾート開発会社に変えて、バブル期には総資産1兆円の企業グループを構築した。