彦根城と井伊直虎(1) 許嫁の裏切り、父の死、虎松の誕生… 尼を決意も

★彦根城と井伊直虎(1)

2015.05.16


彦根城【拡大】

 井伊直政(なおまさ)が「徳川四天王」の1人として活躍するまでには、ある女性の存在が大きかった。

 南北朝時代から遠江国・井伊谷(いいのや=静岡県浜松市引佐町)を治めていた井伊氏は、戦国時代の荒波の中で存亡の危機に直面していく。

 この状況を打破するため、女惣領(おんなそうりょう)となって井伊氏を支え、直政を世に出したのが、義叔母で養母でもある次郎法師(じろうほうし)、のちの直虎(なおとら)だ。

 次郎法師は、今川氏の属将、井伊直盛(なおもり)の娘として誕生する。男の子に恵まれなかった直盛は、叔父、直満(なおみつ)の息子である亀之丞(かめのじょう)を婿養子に迎えて、将来は家督を継がせようとした。

 だが、この結婚を喜ばない重臣がいた。今川氏の附家老、小野和泉守(おのいずみのかみ)である。彼は直満と仲が悪く、もし亀之丞が跡を継げば、直満が井伊氏を掌握し、自分は放墜されると恐れたからだ。

 天文13(1544)年、小野和泉守が今川義元(よしもと)に、「直満と弟、直義(なおよし)が、今川氏に逆意を抱いている」と讒言(ざんげん)した。すると、義元は、直満と直義を駿府(すんぷ)城(静岡市)に呼び出して殺害する。このとき、義元は9歳だった亀之丞の命まで奪おうとした。

 そこで、亀之丞は、信州伊那郡に身を隠して11年間を過ごす。亀之丞は弘治元(1555)年に帰還するが、身を隠している間に、奥山親朝(ちかとも)の娘と結婚してしまう。許嫁(いいなずけ)の裏切りは、次郎法師にとって、いたたまれなかったに違いない。

 直盛は、井伊氏を継ぐ資格者が他にいなかったため、やむなく亀之丞を養子とし、直親(なおちか)と名乗らせる。

 永禄3(1560)年5月、直盛は今川義元の上洛に従軍するが、桶狭間(おけはざま)の合戦で織田信長の奇襲攻撃に遭い、義元とともに討死してしまう。

 直親が井伊氏の跡を継ぐと、翌年、虎松(とらまつ=のちの直政)が生まれる。本来ならば、直親と結婚して、井伊氏の跡取りを産むのは、自分であると考えていただけに、次郎法師は複雑な思いがあった。

 許嫁の裏切り、父の死、虎松の誕生と続くなか、次郎法師は失意のまま、尼になることを決意するが、彼女にとって、思わぬ展開がここから始まっていくのである。 =つづく

 【所在地】滋賀県彦根市金亀町1の1
 【交通アクセス】JR東海道線「彦根駅」より徒歩約10分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学日本文化研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事などを務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)などがある。

 

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