彦根城と井伊直虎 女を捨て35万石の礎築く

★彦根城と井伊直虎(2)

2015.05.23


彦根城天守【拡大】

 尼になることを決意した次郎法師(じろうほうし=のちの直虎)は、井伊氏の菩提寺・龍潭寺(りゅうたんじ)の南渓(なんけい)和尚から予想もしなかったことを言われる。

 「出家することは認める。しかし、男となれ」

 これには次郎法師も驚いたが、和尚から「直親(なおちか)が家督を継ぎ、嫡男、虎松(のちの直政)も生まれたが、井伊氏の将来が安泰なわけではない。井伊氏本家の血を引く者は、そなたしかいない。本家のためにも、そなたを男として温存しておく必要がある」と言われて納得し、尼ではなく僧として出家する。

 僧は男であり、環俗(げんぞく)すれば井伊氏を相続できるが、尼だと環俗しても家督を継ぐことができないからだ。

 南渓和尚が危惧したことが現実のこととなる。

 小野和泉守(おのいずみのかみ)の子で、今川氏の附家老だった小野但馬守(たじまのかみ)が、今川義元(よしもと)の死により今川氏の家督を継いだ氏真(うじざね)に「直親はひそかに松平(のちの徳川)家康だけでなく、織田信長とも通じ、陰謀を企てている」と讒言(ざんげん)したのだ。

 直親は、嫌疑を晴らすため、氏真の居る駿府(すんぷ)城(静岡市)に向かうが、途中で氏真の家臣に襲われ、殺されてしまう。まだ2歳の虎松にも身の危険が迫り、井伊氏の重臣によって匿(かくま)われる。

 緊急事態に、次郎法師の曾祖父、直平(なおひら)が跡を継いだが、今川氏によって毒殺される。虎松の所在も今川氏にばれそうになり、虎松は僧籍に入った。

 このような経緯を経て、永禄8(1565)年、次郎法師は直虎と名を変えて、井伊氏を相続し、女惣領(おんなそうりょう)となる。

 直虎は、許嫁(いいなずけ)の直親(なおちか)の遺児・虎松を養子として育て、天正3(1575)年、虎松が15歳になったとき、家康との面会を果たす。

 家康は直虎に、井伊氏の長年の苦労をねぎらい、虎松の徳川氏への出仕を許した。天正10(1582)年8月26日、直虎が亡くなると、虎松が家督を継ぎ、名を直政と改める。直虎の墓は直親の隣にある。

 井伊氏は徳川の治世になると、直政の功績もあり彦根藩35万石となり、譜代大名の筆頭格となった。これもすべて女を捨て、男として生きた直虎の存在が大きい。  =次回は勝龍寺城(京都府長岡京市)と細川ガラシャ

 【所在地】滋賀県彦根市金亀町1の1
 【交通アクセス】JR東海道線「彦根駅」より徒歩約10分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学日本文化研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事などを務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)などがある。

 

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