姫路城と督姫(2) 「毒饅頭」噂残し失意の死

★姫路城と督姫(2)

2015.06.27


姫路城【拡大】

 関ケ原の合戦で天下をとった徳川家康の娘、督(とく)姫を妻にした池田輝政(てるまさ)は、慶長6(1601)年から8年がかりで姫路城(兵庫県姫路市)を築く。

 姫路城は、豊臣秀頼(ひでより)のいる大坂城(大阪市)を攻略する拠点の1つ。さらには豊臣秀吉の子飼いで、秀頼を慕う安芸国(広島県西部)の福島正則(まさのり)、肥後国(熊本県)の加藤清正らが攻めてきた場合、山陽道の防御の役割を担う徳川幕府の要の城であった。

 一方、督姫は前夫の北条氏直(うじなお)との間には男子を産むことはなかったが、輝政との間では、忠継(ただつぐ)、忠雄(ただお)、輝澄(てるずみ)、政綱(まさつな)、輝興(てるおき)と5人の男子に恵まれる。

 5人の男子は、家康からそれぞれ領地を与えられた。輝政の弟、長吉(ながよし)にも領地が与えられ、池田氏の領地は、すべてを合わせると約100万石となり、輝政は「西国将軍」といわれるようになった。

 慶長18(1613)年1月、輝政が痛風に苦しみながら50歳で亡くなると、督姫は良正(りょうせい)院と号した。

 督姫の望みは、自分が産んだ息子が亡き夫の跡を継ぐことであったが、督姫の息子たちは、まだ幼く、姫路52万石の家督は、先妻の絲(いと)の息子、利隆(としたか)が継ぐことになる。

 督姫は何としてでも自分の息子に跡を継がせるため、饅頭(まんじゅう)に毒を仕込んで、利隆を毒殺しようとした。それに対し、忠継は母の陰謀を恥じて、利隆に代わって、毒入り饅頭を食べて死んだという噂が流れた(毒饅頭事件)。

 実際には、慶長20(1615)年2月4日、督姫は天然痘が原因で亡くなり、19日後に忠継、翌年6月には利隆が亡くなっている。池田氏の主要人物3人が立て続けに亡くなったことで生まれた噂が事件の真相のようだ。

 その後、池田氏は相次ぐ不幸で家中が不安定になり、幕府から国替えを命じられ、因幡国(鳥取県東部)に転封となる。

 代わって親藩の本多忠政(ただまさ)が、元和3(1617)年に姫路城に入城した。すると幕府は、忠政の息子、忠刻(ただとき)に、第2代将軍秀忠・お江(ごう)の娘、千姫を嫁がせる。このとき持参した化粧料10万石で築かれたのが、現在も残る姫路城の西ノ丸化粧櫓だ。 =次回は三春城(福島県三春町)と伊達政宗正室・愛(めご)姫

 【所在地】兵庫県姫路市本町68
 【交通アクセス】JR山陽本線・山陽新幹線「姫路駅」から徒歩約15分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学日本文化研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事などを務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)などがある。

 

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