本土決戦を主張した阿南陸軍大臣 私は「腹芸説」を採る (1/2ページ)

2015.08.15


阿南惟幾陸軍大臣【拡大】

 日本では、昭和天皇の玉音放送が流された1945年8月15日が「終戦の日」だが、米国では、戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書への調印が行われた9月2日が、「VJ−Day(Victory over Japan Day=対日戦勝記念日)」である。

 同年7月26日に出されたポツダム宣言は、日本政府への「条件付き降伏」の要求だった。詳細は以前の連載で書いた。

 ドイツと日本の「無条件降伏」にこだわり続けたのは、ルーズベルト大統領である。一方で日本は「国体護持」にこだわり続けた。

 国体とは、天皇を中心とした日本古来の国家体制を意味する。政府は降伏後の国体護持が保障されなければ「本土決戦やむなし」と考えていた。新聞は「一億総玉砕」などと民衆をあおった。

 ルーズベルト大統領は、母方の一族がアヘンを含む対中貿易で財をなした影響か、「親中憎日」だった。開戦前の日米和平交渉と同様、戦争終結の際も、日本の希望を聞く気など一切なかった。原爆実験は成功間近であり、「ダウンフォール作戦」という、毒ガス攻撃まで含む本土上陸殲滅作戦が計画されていた。

 これが神風だろうか。ルーズベルトは4月12日に脳卒中で急死。後任にトルーマンが就任し、米国はやっと日本に「条件付き降伏」を提示できることになった。

 日米開戦時の駐日米国大使で、天皇の重要性を知るジョセフ・グルーら「三人委員会」の提言で、ポツダム宣言には当初、「天皇の地位保障」が書かれるはずだった。

 

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