大野城と織田信長の妹、犬姫 本能寺の変後に急逝

★大野城と織田信長の妹、犬姫

2015.11.21


大野城【拡大】

 築城年代は不明だが、大野城(愛知県常滑市)は伊勢湾が一望できる小高い丘陵(青海山)の山頂に築かれた。山頂の主郭を中心として、北側の斜面に郭が階段状に配置され、四方に2重の空堀がめぐらされていた。

 大野城は、戦国時代に知多半島(愛知県)西部に勢力を誇った佐治(さじ)氏の居城として、宗貞(むねさだ)、為貞(ためのぶ)、信方(のぶかた)、一成(かずなり)と4代にわたり栄えた。現在、主郭には、2層の模擬天守と城門が建てられ、佐治氏を祀(まつ)る佐治神社がある。

 佐治信方に嫁いだのが、織田信長の妹、犬姫だ。信長にはお市の方という美しい妹がいたが、犬姫も同じくらい美しかったようである。周囲からは「四方様(よんささま)=四方を照らす美しさ)」と呼び称えられたとも言われている。

 信方と犬姫の間には、永禄12(1569)年、嫡子、一成が生まれた。だが、天正2(74)年、信方は、信長による長島一向一揆討伐に従軍し、戦死。一成を残したまま、犬姫は実家である織田氏に戻される。

 実家で寂しく暮らしていた犬姫に再婚の話が持ち上がる。相手は、旧室町幕府の元管領、細川晴元(はるもと)の嫡子、昭元(あきもと)だ。細川氏としては迷惑な縁談だったが、足利義昭(よしあき)を追放した信長に逆らうことはできず、泣く泣く犬姫を嫁に迎えたのであった。

 信長は、自身の権力基盤を強化するために、犬姫を政略結婚の道具に利用したのである。

 その後、犬姫は子供3人を産んだが、結婚生活は長くは続かなかった。天正10(82)年6月2日、兄、信長が明智光秀(みつひで)に本能寺で討たれた3カ月後の9月8日に急逝する。夫が光秀に内通していたため粛清(しゅくせい)されたなど諸説あるが、本当の理由は分からない。

 信長の妹2人(お市の方、犬姫)は、戦国の世に翻弄された人生だった。

 なお、一成は、羽柴(後の豊臣)秀吉に従わず、徳川家康に従ったため、天正12(84)年の小牧・長久手の合戦後に、大野城を追放(改易)される。

 大野城は、後に徳川幕府第2代将軍、徳川秀忠(ひでただ)の正室となったお江が一成と結婚し、嫁いだ城としても有名だ。 =次回は佐賀城(佐賀県佐賀市)と慶●(=門がまえの中に言)尼(けいぎんに)

 【所在地】愛知県常滑市金山字桜谷
 【交通アクセス】名鉄常滑線「西ノ口駅」から徒歩約15分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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