【戦国兄弟の生き方】真田信之・幸村(上) 「異母説」で2つの疑問を解決 松平定知氏連載 (1/2ページ)

2016.01.05


上田駅前に立つ真田幸村公騎馬像【拡大】

★真田信之・幸村(上)

 太郎、次郎、三郎という兄弟がいたら、まあ、普通は長男、次男、三男と考える。ところが、本稿は、三郎が兄で、次郎が弟だという話である。

 この兄弟は、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田幸村(信繁)と、その「兄」の信之(信幸)。真田家の史料によれば、幼名・源三郎の「兄」信之と、同・源次郎の「弟」幸村は年子(としご)で、信之は大男、幸村は小兵、性格も容貌も相当異なっていたという。

 だから、「この兄弟は母が違う」と指摘する人は昔から多い。私も実は「ソレ派」である。なぜなら、そう考えると、この兄弟に関しての2つの大きな疑問が同時に解決するからである。

 彼らをめぐる2つの疑問。1つは「天下分け目の関ヶ原の戦い」の直前、謀略のエキスパートの彼らの父、昌幸が、この戦(いくさ)がどちらに転んでも真田家が存続するようにと下した、いわゆる「犬伏の別れ」と言われている結論のことだ。「嫡男の信之は徳川家康率いる東軍に。幸村と自分は石田三成率いる西軍に」という「分け方」と「組み合わせ」の理由は何か。

 もう1つは、関ヶ原の前の二度にわたる「上田戦争」での敵対行為と、関ヶ原での敵側の立ち位置にも関わらず、父と「弟」幸村は、家康に殺されることなく、その後、父は11年、幸村は14年という長い歳月を、高野山近くの九度山(くどやま、和歌山県九度山町)で生き延びた。その際、父の妻であり、幸村の母である「山之手殿」は同行せず、さりとて離婚もせず、勝った徳川方に属した信之と一緒の生活を選択したのはなぜか、である。

 

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