松の丸殿と伏見城 秀吉の杯めぐり淀殿と争い (1/2ページ)

★松の丸殿と伏見城

2016.01.16


伏見城【拡大】

 松の丸殿は、京極高吉(たかよし)と、浅井久政の娘(京極マリア)との間に生まれた。

 京極氏は山名、一色、赤松の諸氏に並んで室町幕府の四職の1つに数えられる名門だった。応仁の乱後、家督争いで衰退し、浅井氏に近江国(滋賀県)の湖北を押領されていた。松の丸殿にとって、浅井長政は叔父にあたり、浅井三姉妹(淀殿、お初、お江)はいとこになる。

 松の丸殿は若狭守護、武田元明に嫁いだが、平和な暮らしは長くは続かなかった。元明は織田信長に仕えていたが、天正10(1582)年の本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、光秀に味方した。そのため、羽柴(のちの豊臣)秀吉に捕えられ、自害する。

 松の丸殿は、越前国(福井県)敦賀に逃げたが発見され、秀吉の前に連れて行かれた。松の丸殿は京極氏の再興を条件に秀吉の側室となった。

 落ちぶれたとはいえ、近江守護職を務めた京極氏の出であり、松の丸殿は秀吉が目にかけた側室の1人となる。淀殿と松の丸殿だけは、秀吉に同行して天正18(90)年の小田原攻め、2年後の朝鮮出兵では肥前名護屋城(佐賀県唐津市)に出掛けている。

 聚落第(じゅらくだい=京都市上京区)で暮らしていたときは、京極局と呼ばれていたが、大坂城西ノ丸(大阪市)に移ると西の丸殿と呼ばれた。伏見城松ノ丸(京都市伏見区)に移ってから松の丸殿と呼ばれるようになったという。

 

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。