加藤清正の母、伊都と熊本城 入城後剃髪、武運祈る

★加藤清正の母、伊都と熊本城

2016.02.20

熊本城
熊本城【拡大】

 加藤清正の母、伊都(いと)は、天文2(1533)年、尾張国(愛知県西部)中村(名古屋市中村区)で生まれた。

 清正の祖父、清信(きよのぶ)は、美濃国(岐阜県)の斉藤道三の家来だったが、天文6(37)年に犬山城(愛知県犬山市)の合戦で命を落とす。

 その後、父、清忠も道三の家来として仕えていた。だが、道三が息子の斉藤義龍(よしたつ)に殺されると、清忠は母、曽根を連れて中村まで戻った。途中、足をけがしたため、清忠は武士をやめ、鍛冶屋の清兵衛に技術を学ぶ。このとき伊都と親しくなり結婚する。

 永禄5(1562)年6月24日、伊都は清正を産む。清正が13歳のとき、父、清忠が亡くなった。清正の将来を案じた伊都は、清正を羽柴(のちの豊臣)秀吉のもとに連れていき、家臣として召し抱えてくれるよう頼んだ。

 秀吉の母、なかと伊都がいとこで、伊都の義妹が、秀吉の妻、おねと姉妹だったこともあり、秀吉は喜んで清正を召し抱えた。

 おねは清正を自分の子供のようにかわいがり、面倒をみた。秀吉のもとで、子飼いの家臣として成長し、出世していく。

 清正は伊都の影響を受け、日蓮宗の信者となった。亡き父が母想いであったように、清正も母に孝養を尽くした。

 賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で武功をあげた清正は、3000石の家臣となり、大坂に亡き父のために日蓮宗の本妙寺を建立し、伊都に孝行している。

 天正16(1588)年、清正が25歳のとき、秀吉から肥後半国(熊本県北部)19万5000国を与えられると、伊都も一緒に熊本城(熊本市)に入城した。

 その後、伊都は髪を切り、天室日光尼と号し、清正の武運を仏に祈る日々を過ごす。清正も朝鮮出兵では、自ら彫刻した伊都の像を持ち込み、陣中で拝んだといわれている。

 慶長5(1600)年、伊都は熊本城内で亡くなった。68歳だった。同じ年、清正は亡き父のために建てた本妙寺を大坂から熊本城内に移し、母の想いに報いた。伊都の3回忌には常光寺も建てる。

 伊都が亡くなっても、伊都に対する清正の想いは消えることはなく、本妙寺に安置した両親の霊にお参りすることを欠かさなかったという。

 =次回は前田利家の正室、まつと末森城(石川県宝達志水町) 

 【所在地】熊本県熊本市本丸1の1
 【交通アクセス】JR鹿児島本線・九州新幹線「熊本駅」から熊本市電で約10分「熊本城前」下車、徒歩約10分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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