先日、記紀万葉「海駅海道」の旅に同行し、万葉故地である広島県倉橋島の長門造船歴史博物館で実物大の遣唐使船を見学しました。そこで地元の語り部さんから、奈良時代の遣唐留学生で「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という歌で有名な阿倍仲麻呂について興味深い話を聞くことができました。
仲麻呂は唐で難関の官吏登用試験である科挙に合格、玄宗皇帝に重用され、その間、詩人の李白や王維らと親交し、唐僧鑑真に来日を要請して自らも帰国を試みますが、果たせずに唐で客死した人です。
今回はその仲麻呂記念碑の立つ玄宗皇帝ゆかりの興慶宮公園の所在地、唐の都・西安(当時は長安)を紹介します。
西安は3000年以上の歴史を持つ古都で、この都にゆかりのある代表的人物は玄宗皇帝の寵愛を受けた楊貴妃、『西遊記』のモデル玄奘三蔵、そして中国を最初に統一した秦の始皇帝があげられます。西安まで来ると同じ中国でも北京とは異なり、シルクロードの西域という風情が漂っています。
しかし、私たち日本人にとっては奈良の平城京や京都の平安京がこの都をモデルに建設されたということが重要で、西安陝西歴史博物館を訪ねると、正倉院御物にも似た所蔵品が多く見られます。特にペルシア風の青磁の大皿に描かれたローゼット文なる花の文様が皇室の「菊の御紋」のルーツとなったという説明を受ければ、長安と日本を結んだシルクロードの文化交流を実感できます。