世界各地でテロや紛争が続くなか、「日本は平和だ」と感じる人も多いだろう。実は、毎日のように他国に領海や領空を侵犯されているのだが、一般の人々の耳目にはあまり入らない。先の大戦では、沖縄を守るため、日本を守るために、多くの先人が命をささげた。
沖縄戦の最中、熊本市の健軍飛行場を飛び立った12機168人の「義烈空挺隊」も、その1つだ。
1945年3月26日に始まった米軍の沖縄上陸後、4月7日には支援物資を満載した「戦艦大和」が撃沈された。大和が沖縄にたどり着けなかったため、「沖縄は本土に見捨てられた、捨て石になった」と嘆く県民もいるが、事実は違う。
沖縄を救援するため、米軍制圧下の読谷(よみたん)飛行場に強行着陸し、米軍に大きなダメージを与えて玉砕したのが、義烈空挺隊だ。
毎年、同隊の慰霊祭を行っている全日本空挺同志会沖縄支部の濱田種夫氏は次のように語った。
「当時、米軍に制空権・制海権を握られ、本土からは手も足も出ない状況だった。だが、義烈空挺隊の一部は沖縄にたどり着き、本土からの増援部隊として戦って亡くなった。それだけは知っていてほしい」
熊本を飛び立った12機のうち、米軍の激しい対空砲火などで多くが撃墜された。読谷飛行場に降り立った隊員11人は敵機を次々と破壊し、大量の航空燃料を焼失させて散華した。そこに、本土と沖縄の隔てはなかった。濱田氏は続けた。




