前回のこの欄で触れたように、1985年の「プラザ合意」がバブル景気とその後の長期経済低迷の始まりだった。私の人生も翻弄された。
地価上昇を止めるため、90年、大蔵省(現財務省)は総量規制を実施し、不動産業者への融資はされなくなった。それで、総量規制対象外の住宅金融専門会社(住専)にわが麻布自動車グループの債権も移された。しかし、バブル経済は崩壊し、不動産は担保割れで不良債権になった。
95年、住専に6兆4000億の損失があると判明し、翌年、債権回収のために住専処理機構(のちに整理回収機構)が新設された。住専は農林系以外、すべて破綻した。
整理回収機構は200人の弁護士を使い、強引な取り立てをして債権の回収を進めた。私も2人の弁護士に東京・中野の事務所に呼び出され、「債権回収の妨害をしたら告発する」と脅かされた。麻布グループの債務は金融機関から整理回収機構に譲渡され、会社も整理された。ハワイのホテルも栃木のゴルフ場も含め、資産はすべてなくなった。
その後、「整理回収機構が住専などから買い取った麻布グループの債権は159億円」という新聞記事が載った。しかし、全物件を差し出した私の計算では、どう少なく見積もっても700億円以上になっていた。これを売れば、莫大(ばくだい)な利益になったはずだ。
ほかの債権でも同様のことをしていたのか、整理回収機構の初代社長で元日本弁護士連合会会長の中坊公平氏は、破綻した大阪・朝日住建の債権回収の際、債権者をだましたとして詐欺罪で告発されている(起訴猶予処分)。