西郷苦しめた清正の石垣 熊本地震には持ちこたえられず (1/2ページ)

★熊本城

2016.06.04

地震で被災する前の熊本城
地震で被災する前の熊本城【拡大】

 熊本市のシンボルである熊本城(熊本県熊本市)は、慶長12(1607)年に加藤清正によって築城された。

 城郭の全長は5・3キロメートル、敷地面積は98万平方メートル。5層6階地下1階の天守を擁し、各郭に5層櫓、3層櫓という重層櫓が配され、縁辺部をほとんど多聞櫓で囲い込んでいた。各郭が1つの小城郭のように機能し、本丸へ至るためには、これら小城郭を落城させなければならなかった。堅固な城郭から「不落の名城」とも呼ばれている。

 清正は熊本城の築城において40メートルを超える高石垣に反りをつけた「扇の勾配(下は緩やかで上にいくほど垂直になる)」の石垣を編み出した。これが有名な「武者返(むしゃがえ)し」だ。

 この「武者返し」の能力が実戦で遺憾なく発揮されたのが、築城から270年後に起きた明治10(1877)年の西南戦争のときである。西郷隆盛率いる薩摩軍の兵は、誰1人として城内に入ることができなかった。

 西郷は終えんの地である鹿児島の城山で「私は官軍に負けたのではない。清正公(せいしょうこう)に負けたのだ」という言葉をつぶやいたともいわれている。

 ただ、薩摩軍が熊本城に総攻撃を仕掛ける3日前、原因不明の出火によって、天守(大天守・小天守)などの本丸部分のほとんどを焼失してしまう。現在の天守は昭和35(1960)年に外観復元されたものだ。

 

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