「小学生から英語は習っていたようだが、あくまで日本の小学生のレベルだった。教科書やカリキュラムはカナダ本国と同じもので、全ての授業が英語で行われ、卒業には本国の総合大学に入る単位を取るのが条件。そこで真面目に一生懸命勉強をしていた」
アルバイトにも精を出した。実家近くのフランス料理店「ビストロファミーユ」(現在は閉店)では、高校3年から大学卒業までウエイターや皿洗いを務めた。元オーナーの五井(ごい)憲治さん(70)は「時給は800〜900円だったと思う。夕方5時に来てもらって、私が出すまかないを食べ、午後9〜10時ごろまで働いてもらった」と懐かしむ。
大学時代の「海の王子」としての活動にも理由があった。藤沢市観光協会主査の荒井ひろみさんは、「お母さまが以前、藤沢市の海の近くに住んでいたこともあって応募していただいたようだ」と話す。
小室さんは「海の王子」として市民まつりに参加した際に、ブログで《30年以上も前に僕の両親がそれぞれの藤沢市立小学生でこのパレードに参加していたのです》と思いをつづっている。