【沖縄が危ない】石垣島に存在する「おもてなし」の歴史と中国の厚顔無恥

8.15

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 現在の困難な日中関係を考えるうえで、中国人にぜひ知ってもらいたい中国と石垣市の関わりがある。その1つが「唐人墓」と呼ばれる中国風の墓の存在だ。

 1852年、苦力(クーリー)と呼ばれる中国人奴隷約400人を乗せた米国の奴隷貿易船、ロバート・バウン号が石垣島沖で座礁した。中国人らは虐待に耐えかねて船長らを殺害し、石垣島に逃げ込んだのだ。

 報告を受けた米・英国船が石垣島沖に現れ、兵士らが上陸し中国人を捜索した。中国人128人が兵士に殺害されたり、病死、自殺したりした。

 石垣島の人々は中国人を匿い、食糧を与えた。死亡者には墓を建立し、丁重に埋葬した。最終的に、生存者172人が琉球政府の船で福建省に護送された。

 中国風の豪華な建築物である唐人墓は128人の霊を慰めるため、石垣市が点在していた墓を集め、1972年に建立した。現在は観光名所になり、市民は「日中友好のシンボル」と呼ぶ。

 しかし、現在の中国政府から謝意が示されたことは一度もない。建立に協力したのは台湾関係者だ。

 もう1つ、エピソードがある。

 1919年、中国人31人を乗せ、福建省を出港した漁船が嵐で尖閣諸島・魚釣島に漂着した。当時、島にあったかつお節工場の労働者たちが中国人を救助し、石垣島に送った。石垣島の人たちも彼らを手厚く保護し、全員を帰国させた。

 中国駐長崎領事は翌年、当時の石垣村長・豊川善佐や、かつお節工場の経営者・古賀善次らに感謝状を贈った。感謝状には尖閣諸島を「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記している。中国が尖閣を日本領と認識していた証拠となる感謝状は現在、石垣市の文化財に指定され、厳重に保管されている。

 こうした交流の歴史があれば、通常は二国間の友好親善は推進されるはずだ。ところが、石垣の先人たちが中国人を温かく迎えたお返しに、現在の中国がやっていることといえば、尖閣周辺で連日、公船を航行させて「(尖閣は)中国固有の領土だ」と叫び、石垣の領土を略奪しようとする行為である。恩をあだで返すとはこのことだ。

 日本としては石垣市の「おもてなし」の歴史を国際社会にも発信し、中国の厚顔無恥を広く訴える必要もあるだろう。

 ただ、中国政府は恐らくこうした歴史を一般の国民に隠している。中国に自由の風が吹くようになれば、国民も「正しい歴史」を知ることになる。その日こそ、石垣島の厚い人情が、三たび日中友好の架け橋となるはずだ。

 ■仲新城誠(なかあらしろ・まこと) 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に石垣島を拠点する地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。同県の大手メディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に「国境の島の『反日』教科書キャンペーン」(産経新聞出版)など。

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