【ニッポンの分岐点】日韓関係(3)歴史認識 政治決着も埋まらない溝 (1/3ページ)

2014.01.27


1995年11月、大阪での首脳会談を前に握手する当時の村山富市首相(右)と金泳三韓国大統領。閣僚発言をきっかけに直前まで開催が危ぶまれた【拡大】

 1993年に韓国民主化後初の文民出身大統領となった金泳三(キム・ヨンサム)(86)は「歴史の立て直し」と称し、日本統治時代の歴史の払拭を進めた。自民、社民、さきがけ連立の村山富市内閣の閣僚発言に絡んでも日韓関係は紛糾。閣僚更迭と歴史の共同研究という韓国側の要求を受け入れ、政治的決着が図られた。だが、歴史認識をめぐる根本的な溝が埋まることはなかった。

 ◆“告げ口外交”の原型

 「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」。95年11月、当時の総務庁長官、江藤隆美の発言が日韓関係を揺るがした。記者とのオフレコ懇談の際の言葉だったが、その発言が漏れ韓国紙が報道、韓国は「妄言」と激しく反発した。

 同年8月に、村山(89)が「植民地支配に対する心からのおわび」を表明したばかり。江藤の発言に当時の韓国外相、孔魯明(コン・ノミョン)(81)は「元のもくあみになる」と感じた。

 金泳三と金大中(デジュン)時代にわたって駐韓大使を務めた小倉和夫(75)は、53年に日韓会談の日本側代表だった久保田貫一郎発言を例に日韓関係の変化を指摘する。久保田は「日本統治は韓国に有益だった」と述べ、国交正常化に向けた交渉は決裂するが、「日本の世論は発言を問題視するどころか、外務省が支持さえした」(小倉)。それから約40年、閣僚の発言に日韓双方のメディアが即座に反応し、当事者が辞任しない限り収まらなくなっていた。

 金泳三は江藤発言に対し、当時の中国国家主席、江沢民(87)と会談した際、「日本のポルジャンモリ(でたらめ根性)を直してやる」と言い放った。現大統領の朴槿恵(パク・クネ)(61)が外遊先で日本を批判する“告げ口外交”の原型ともいえた。直後に大阪で予定されていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日韓首脳会談の開催さえ危ぶまれた。

 韓国外交官で最大の知日派とされ、外相前には駐日大使も務めた孔は、辞表を懐に金をなだめたといわれた。孔は「いつでも辞任する覚悟をもってやっていた」と当時を振り返る。江藤は結局、辞任を余儀なくされたが、日韓外交関係者によると、日本の立場も理解した上で交渉に当たった孔に対し、金が「どこの国の外相か」と非難したこともあったという。

 

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