【ニッポンの分岐点】日韓関係(3)歴史認識 政治決着も埋まらない溝 (3/3ページ)

2014.01.27


1995年11月、大阪での首脳会談を前に握手する当時の村山富市首相(右)と金泳三韓国大統領。閣僚発言をきっかけに直前まで開催が危ぶまれた【拡大】

 ◆守るべき一線

 これに先立つ1991年には「挺身(ていしん)隊の名で朝鮮人女性が強制連行され、売春を強いられた」と事実に依拠しない朝日新聞報道をきっかけに慰安婦問題が外交問題化した。元慰安婦に対する日韓の支援者が日本に賠償を求める動きを強め、韓国世論が後押しした。

 日韓両政府は65年の日韓請求権協定で個人の請求権は消滅したとの立場を共有していた。慰安婦問題は、65年当時には「見落とされた人道問題」(日韓外交関係者)とみなされたが、補償要求は自国政府にすべき筋合いの問題だった。

 苦肉の策として日本側は「女性のためのアジア平和国民基金」という名の民間基金を立ち上げ、元慰安婦ごとに「償い金」200万円と首相のおわびの手紙を届ける方針を決める。ところが、日本政府からの補償獲得を掲げる支援団体の方針に縛られ、受け取りを拒む女性が相次ぐ。

 日本の当時の外務省職員の一人は「日本国民の血の通ったカネを受け取れないとはあんまりじゃないか」と感じたという。政府補償については「一度、認めれば、戦時徴用問題に加え、中国などへも際限なく派生する恐れがあった。請求権協定はどうしても守らなければならない一線だった」と強調する。

 これに対し、孔は「大半が公金でまかなわれているのに、日本政府が(民間という)建前にこだわったため禍根を残した」と指摘する。対応が違っていれば「韓国の団体が世界で日本政府批判を繰り返し、欧米から“セックス・スレーブ(性奴隷)”とまで非難されることはなかったかもしれない」との見方を示す。

 それでも孔は当時、韓国世論の反発の中で「韓国政府として日本に補償要求すべきでない」との姿勢を貫き、大統領の金も「日本に物質的補償は求めない」と表明していた。歴史問題では折り合わずとも、請求権協定は「守るべき国同士の約束」との認識では日本と一致していたのだ。

 慰安婦問題はその後もくすぶり続け、李明博(イ・ミョンバク)時代にも再燃。戦時徴用に絡み韓国で昨年、日本企業へ賠償を命じるという「国同士の約束」を覆す判決が続いた。日韓の実務者が守ってきた最低限の“信頼”さえも崩れようとしている。=敬称略(桜井紀雄)

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【用語解説】日韓請求権協定

 1965年、日韓の国交正常化に合わせて結ばれた2国間協定。日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの経済支援をすることで、両国間の請求権は「完全かつ最終的に解決された」と規定している。

 

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