【ソウルから 倭人の眼】冷静な論議を封じる韓国の一方的な「日本強奪史観」 (2/4ページ)

2014.12.27


 長崎県対馬市の寺から盗まれた「誕生仏」(対馬市教育委員会提供)【拡大】

■強い思い込み

 韓国メディアや反日市民団体が主張してやまない文化財の「日本収奪論」は、日本による朝鮮半島の統治(1910〜45年)や倭寇(14〜16世紀)を根拠としたものだ。

 正式な売買や、当時の朝鮮半島内部の情勢が背景にあり日本に渡った−との見方は表向きは極めて少ない。「何が何でも日本が奪ったのだ」「略奪した日本が悪い」という主張が横行している。反日を土台にした韓国の論理では、そうでなければならないのだろう。一方的な「強い思い込み」に支配されているわけだ。

 盗難仏像の話に戻るが、対馬は、特に李氏朝鮮時代(1392〜1910年)の一定期間、日本本土と朝鮮半島を結ぶ貿易の拠点であった。この時代に朝鮮半島では、儒教を国教としたため排仏運動が盛んとなり、仏教は激しく弾圧された。

 当時の朝鮮半島の国内情勢と、日本人の常識的な宗教(仏教)観を考えてみた場合、真実は定かではないが、日本に渡った仏像や仏画の由来が見えてきそうだ。

■朝鮮半島での仏教弾圧

 仏教が栄えた高麗時代から李氏朝鮮時代に移り、全土に1万以上あったとされる寺院は、朝鮮王朝から保護を受けた一部を除き、多数が破壊された。第三代の王、太宗(テジョン・1400〜18年)の治世には88寺院に、第四代の世宗(セジョン・1418〜50年)の時代に残った寺はわずか36となった。

 さらに、仏教弾圧は止まず、中宗(チュンジョン・1506〜44年)は即位の翌年に仏像を破壊させ、朝鮮半島の仏教は絶滅の危機にさらされた。

 各地の寺は著しく荒廃。現在、韓国の代表的な寺である仏国寺(慶尚北道)と海印寺(慶尚南道)は、1407年の時点で存続を許されず廃寺に。また通度寺(慶尚南道)も1424年には廃寺になったとされる。

 仏国寺の荒廃の様子は、日韓併合(1910年)の4年後に撮影された写真が残されている。破壊され、柱や石垣、石柱、石段などは荒れ放題。日本の朝鮮半島統治時代にようやく復興が始まり、70年代に現在の姿に復元、95年にユネスコの世界文化遺産に指定された。

 世界遺産の「大蔵経板」で知られる海印寺と、通度寺も、日本統治時代初期の1911年に「朝鮮三十本山に指定され、現在に至っている。

 李氏朝鮮時代、長年に渡って朝鮮半島の仏教は過酷な弾圧を受け続けた。日本でも明治時代の一時期に「廃仏毀釈」があったが、朝鮮半島での仏教弾圧は規模とその期間において、日本の比ではない。

 

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