台湾の馬英九総統が20日、退任した。2008年5月の就任後、日台関係を「特別パートナー関係」と位置づけて対日重視の方針を打ち出し、経済・文化交流で過去に例のない進展があったことは評価されるべきだろう。東日本大震災を機に、日台双方の市民感情は近づいた。その一方、馬総統は政権末期に慰安婦問題で日本批判を繰り返し、沖ノ鳥島問題では巡視船などの派遣を強行して日本側が「失望」を表明、「有終の美」を自ら捨てる結果となった。
■当初は「対日重視」
馬総統は就任前の08年5月5日、産経新聞との単独会見に応じ、「私はよき知日派でありたい。反日総統が現れたなどと心配しないでほしい」と述べた。留学中だった記者(田中)も同席したが、終始穏やかな物腰で、対中政策など新政権の方針を説明。後に実現する羽田−松山空港便構想を語るなど、対日関係にも腐心する様子がうかがえた。米ハーバード大での博士論文が尖閣諸島(沖縄県石垣市)の台湾の領有を前提に共同開発を訴える内容だったことや、台北市長時代に「(日本と)一戦を交えることもいとわない」と発言したことで日本側の一部に警戒感があり、「反日派」とみられることを避けたい思惑があったようだ。同席した選挙参謀の馮寄台氏は、後に駐日代表となった。
馬総統は3日後には南部・台南に出向き、日本統治時代に烏山頭ダムの建設に尽力した技師、八田與一の慰霊祭に参加した。八田與一はその後、馬政権の対日友好姿勢の象徴となり、アニメ映画が制作され、11年には記念公園が整備された。馬総統は就任演説では日本に言及しなかったが、日本の国会議員団を総統府での昼食会に招き、対日重視の姿勢を示した。
就任直後の08年6月には台湾の遊漁船が尖閣諸島の領海内で日本の巡視船と接触して沈没。当時の行政院長(首相に相当)が「開戦も排除しない」と発言するなど、沖ノ鳥島周辺での台湾漁船拿(だ)捕(ほ)に抗議する最近の対応を彷(ほう)彿(ふつ)させる強硬姿勢を示したものの、9月には「特別パートナーシップ」を発表し、日台関係の強化に乗り出した。