福島の熾烈な戦い「隊長が最初に突っ込んだんだ、オレたちも」

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.05.10

 大型連休真っただ中の5月3日、福島県内のJヴィレッジに陸海空自衛隊の消防車12両と74式戦車2両が並び、その横に隊員が整列していた。

 この日、震災発生から続いた彼らの「戦い」に、1つのピリオドが打たれた。

 自衛隊の放水冷却隊(消防隊)と軌道路啓開隊(戦車部隊)の編成が解かれたのだ。

 活動期間中、ずっと緊張しっぱなしだった隊員たちは、薫風に促されるように、少しだけ肩の力を抜いた。

 「よくやってくれた」

 現地調整所のトップを務めた、陸上自衛隊中央即応集団(CRF)副司令官の田浦正人陸将補の表情からは、隊員への言い尽くせない思いがうかがえた。

 イラク派遣では復興業務支援隊長も務めるなど、いわば大舞台を経験してきた指揮官だが、この50日余りは、実に熾烈な日々を送った。

 その始まりは震災発生の当日−。

 CRF隷下の中央特殊武器防護隊(中特防)が、直ちに福島原発に出動し、冷却作業などにあたることになった。3月14日には爆発事故も発生。これにより、先頭に立った隊長以下4人の負傷者を出した。「絶対に安全です」という東京電力の見解を信じての活動だったが、大きなショックを受けた。

 しかし、中特防メンバーから出た言葉は予想に反するものだった。

 「隊長が最初に突っ込んだんだ。オレたちも行こう!」

 ヤツらはやってくれる…そう確信した。真っ先に突入した、部下である中特防隊長のためにも「自衛隊はやるぞ」という思いを強めた。

 3月17日からは、全国から自衛隊の消防隊が集結した。

 普段から共同して作戦行動をとっている隊員たちではない、まして海空自衛隊の隊員とは初めて顔を合わせる。寄せ集め部隊だった。

 原発対処のノウハウなどないが、でも他にやる者がないのなら…わらにもすがるような求めに応じて集められた隊員たちだ。不安がないといえば嘘になる。

 そんな思いでいると、「中隊長!」と呼ぶ声に気付いた。群馬県相馬原の陸自12旅団から赴いた隊員だった。

 戦車乗りだった田浦陸将補がかつて所属した部隊だ。当時の部下が、どういうわけか消防車に乗っている。

 「お前、なんでこんな所にいるんだ!」

 「中隊長こそ!」

 思いがけない再会に、一瞬、顔がほころんだ。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

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