「沖縄独立論」の真意

2011.07.29

 歴代沖縄県知事の中で最も過激な基地反対運動家だったといわれる太田昌秀氏は3期目を狙った1998年の知事選で落選、その2年後にかつての部下である県職員らをひき連れて北朝鮮を訪問した。

 訪朝団は「朝鮮−沖縄平和友好団」と名付けられ、総勢125人。メンバーの大半は県職員のほか自治労組員、教職員らだが、後に民主党沖縄県連代表となった喜納昌吉氏のほか沖縄タイムス、琉球新報といった地元紙幹部の面々、さらには朝日新聞など本土紙記者らが同行した。

 この訪朝がどの様な趣旨で行われたかは、「米軍とその基地を撤収させるための共同闘争を繰り広げることは切迫した時代的要請だ」(北朝鮮幹部、沖縄タイムス紙掲載)といった指摘や、「敵は北朝鮮にあらず、脅威論を展開し沖縄の基地を固定しようとする輩にある」(県教育文化資料センター長、雑誌『日本の進路』掲載)といった檄(げき)などからも明らかだろう。

 つまり日米帝国主義打倒で沖縄と北朝鮮が共闘するということなのだが、問題はまるで国の代表団のようにふるまった点であり、その奇妙さが際だつ。

 実は基地反対運動は沖縄の独立論と常に重なってきた。1879年、明治政府が廃藩置県で、琉球王国を鹿児島県に組み込んだ琉球処分以来、沖縄独立運動は根強く残ってはいた。

 しかし、基本的には多くの住民は賛成せず、一部の反戦・平和運動家らが日米安全保障の枠組みから脱するために独立論を展開してきた。いまでは基地撤廃イデオロギーのような役割を果たしている。

 例えば、沖縄タイムス論説委員などを歴任したあと詩人となった川満信一氏は1981年、「新沖縄文学」に「琉球共和社会憲法C私(試)案」を発表、反戦・平和運動家の間で大いに評判になった。

 だが、その内容は「軍備の廃止」にとどまらず「警察・検察・裁判所の廃止」や「私有財産の否定」「商行為の禁止」にまで及ぶなどあまりに過激で住民の支持を受けることはなかったのである。

 その空想性を国際政治の観点から鋭く指摘したのが母親が沖縄出身という作家、佐藤優氏だった。佐藤氏は2008年春に沖縄タイムスに連載された「往復書簡ー沖縄をめぐる対話」の中でこう書いている。

 「時代が帝国主義化する現状で、中国、日本、アメリカという三つの帝国主義大国に囲まれる中、独立国家沖縄が勢力均衡外交のはざまで生き残っていくのに多大なエネルギーがかかるからです。沖縄のアイデンティティーを維持するためには三つの帝国主義国の中でぼんやりし、自己の基準を他者に押しつけることが上手でない帝国主義国日本に帰属していた方が、沖縄にとって得だと思うからです」

 この記事は佐藤氏と川満氏が書簡を交換しながら沖縄独立論などをめぐって意見交換をするもので、地政学的に重要な位置に存在する沖縄が国際政治の中で生き残るには日本に留まるしかないと説いたわけだ。

 琉球大学などが行った沖縄県民調査では自らを「日本人ではなく沖縄人」と答えた人は4割強に達し、「独立すべき」と答えた人も2割に上るそうだ。

 ■前田徹(まえだ・とおる) 1949年生まれ、61歳。元産経新聞外信部長。1986年から88年まで英国留学。中東支局長(89〜91年)を皮切りに、ベルリン支局長(91〜96年)、ワシントン支局長(98〜2002年)、上海支局長(06〜09)を歴任。

 

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