防衛用装備品、国産の打診に企業が「NO」の歴史

2013.11.19

 先週、自衛隊装備の「国産化方針」について書いたが、現役の自衛官の多くは、この話にさほど関心を持っているとはいえない。

 「当事者である自衛隊が、なぜ?」と意外に思われるかもしれないが、私はここに防衛産業政策が確立されない、大きな原因の1つがあると思っている。

 装備に無関心なわけではない。むしろ熱心なほど海外の高性能な物を志向することになりがちなのだ。国を守るためには当然のことであろう。では、どうして今から40年以上前に防衛庁(当時)では「国産化方針」を打ち出したのだろうか。

 「戦争で苦労した先輩たちの思いが込められているのでしょう」

 そんな評価もある。歴史を遡(さかのぼ)れば、日露戦争後、日本はますますの「兵器の独立」を目指し、技術革新を成し遂げていった。

 しかし、日米開戦の火蓋が切られる直前まで一部、兵器や部品は米国から輸入していたのである。石油をはじめ、こうした武器などを輸入に頼らざるを得ない脆弱(ぜいじゃく)さはわが国の宿命でもあるが、だからこそ、それを補って余りある物作り技術の必要性を感じるのだ。

 ともかく、部品が足りず飛び立てない飛行機が次々に目の前で爆撃されるという惨めな光景は二度と繰り返したくないと、当時の軍関係者が深く心に刻んだことは確かであろう。

 敗戦後、この関係者の多くは公職追放となったが、1950年、くしくも朝鮮戦争が勃発、同時に自衛隊の前身となる警察予備隊が発足し、その後、いろいろな形で自衛隊に籍を置くようになった。国産部品を持つことが何より大事であると身に染みていた人たちは、自国を守るためには自国で装備を完結する必要があると胸に秘めていたのだ。

 米国の「お古」を使っていた当時、米国で新しい装備が開発されると、古い部品は廃棄されてしまい、在庫を使い切ればなす術がなかった。

 そこで、旧軍出身の装備担当者たちは、まずは自国で修理・整備ができるよう米側に働きかけ、さらにライセンス国産の希望も申し出た。米国の承諾は思いのほかスムーズに得られ、あとは、元軍需工場などを訪ねて自衛隊の装備製造を依頼する段階にまでこぎつけたのだ。

 ところが、この時、大きなショックを受ける。多くの社長たちが首を縦に振らなかったのだ。「日本は変わってしまっていたのです」

 当時を知る人は振り返る。「戦争反対」「平和」といった言葉が躍り、国民の価値観は180度転換していたのだ。もはや、かつての熱狂はどこにもなかった。しかし、国防のため国内産業の力がどうしても必要であることは疑うべくもなかった。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)、「武器輸出だけでは防衛産業は守れない」(並木書房)など。

 

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