戦後の装備品製造を阻んだ“空気”

2013.11.26

 朝鮮戦争のドサクサとも言おうか、せっかく米国が自衛隊装備品のライセンス国産を許可したというのに、肝心の部品製造に欠かせない町工場などが、戦前とは打って変わってまことに歯切れが悪い。

 「一体、なぜ?」

 旧軍出身者たちは、相手の反応に戸惑いを感じたが、それは当然のことでもあった。

 まず第1に、自衛隊で使うためのわずかな装備品製造を引き受けても、商業ベースにのるわけでなく、メリットがないのだ。まして、高精度の製品製造であるため、工作機械などの設備に膨大な投資が必要で、とても採算が合わない。ただでさえ、戦後の苦しい中ではい上がらなくてはならないのに、そんな余裕はどこにもなかった。

 そして、他にも大きな理由があった。

 敗戦後の日本を瞬く間に覆った平和思想といった空気に加え、急速に沸き上がった労働争議などに象徴される共産勢力の台頭である。戦後まもなく、あらゆる分野において労働組合が雨後の竹の子のように誕生していたのだ。

 「敗戦という日本人の心の動揺に入り込み、人々を煽ったんです」

 当時を知る人は振り返る。船員の世界などは著しかった。多大な商船を失い、海軍の戦死者以上の人員が犠牲となった彼らは「明日、乗る船がない」といった空虚さに襲われながら日々を過ごしていた。そこに、共産勢力によるオルグ活動が盛んに行われていたと言われる。

 資源輸送を海運に頼るわが国にとって、船員たちの心を奪われることは国家的な打撃であることは言うまでもない。この頃、さまざまな分野で、このように「形を変えた戦争」が始まっていたのである。

 そんな中、「赤化阻止」の使命を秘めていたのが財界であった。日本の多くの名だたる企業の社長たちは、個々の業績より、むしろ「国のあるべき姿」を追求して止まなかったのだ。

 これらの企業は、防衛装備品分野でも主たる担い手になったが、部品などの製造は多くの工場に分散させる必要があるとして、自衛隊関係者が工場を求めて回ったのである。

 ここには、防衛事業が少しでも多くの中小企業の再建を後押しできるようにという配慮もさることながら、部品製造が1つの企業に集中すれば、そこが何らかの事情で作れなくなった場合のリスクがあり、それを避けるためでもあった。

 戦車1両に約1300社、護衛艦には約2500社関わるという防衛産業に対し、「なぜ、そんなに多いの?」と言われるが、その背景には、しかるべき意味があったのだ。

 しかし、頼む側も受ける側も、決して順風満帆ではなかった。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)、「武器輸出だけでは防衛産業は守れない」(並木書房)など。

 

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