失われると再起は難しい防衛技術 戦後の空白で「弾が作れない…」

2014.04.22


5・56ミリMINIMI機関銃と、普通弾(陸上幕僚監部提供)【拡大】

 昨年末、国連南スーダン派遣団に参加している陸上自衛隊が、国連からの要請で弾薬1万発を無償提供するという出来事があった。その弾は5・56ミリ小銃弾で、米国はじめNATO諸国を中心に標準化され、幅広く使われているものだ。

 わが国でこの5・56ミリ弾を製造している愛知県の旭精機工業は戦前から弾薬製造に関係してきた歴史を持っている、いわば老舗企業だ。

 かつては大隅鐵工所として陸海軍工廠に工作機械や銃弾製造機械を納入していた。1937年に機銃弾の製造を命じられ、ドイツに技術者を派遣して学んだ後、7・7ミリ、12ミリ銃弾を製造、海軍の零戦などに搭載されるようになった。

 そして敗戦。連合軍命で、機械は従業員自らの手で破壊、図面はすべて処分した。それからは細々と繊維機械や各種部品、織布などの製造販売に転換していた。

 ところが50年、朝鮮戦争を契機に転機がやってきた。在日米軍調達本部から弾薬の発注があったのだ。しかし、大きな壁にぶつかることになる。「弾が、作れない…」

 原因は、戦後の空白期間だった。以前は当たり前のように作っていたのに、全く手が付けられなかった。同社では、機械や図面の一部を天井裏に隠していた。日本の陸海軍の命綱である弾を作っていた、それを誇りに思っていたからこその、とっさの判断だった。再開に繋がる望みは完全に捨てていなかったのだ。

 しかし、図面だけがあっても従業員の多くが未経験者になっており、思い通りに事は運ばなかった。微妙な加工技術が蘇らなかったのだ。

 「型不良」「寸法不良」が続出、防衛技術は一度失われると再起は極めて難しいということを思い知る。このままでは検査に通らない。

 絶望のふちに立たされたが、「この契約を完遂することは将来の命運を分ける」という思いを強く持っていたため、諦めることはできなかった。

 「日本の技術の威信にかけてもやり遂げなければならない!」

 そして、ついに米軍の初回検査に合格する。55年、終戦から10年がたっていた。その後、警察庁などからも、けん銃薬莢(やっきょう)の注文を受けるようになり、徐々に工場に活気が戻った。翌年には従業員も1000人以上に拡大、全国から応募があった。

 「もはや戦後ではない」と言われた、その年のことであった。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)、「武器輸出だけでは防衛産業は守れない」(並木書房)など。

 

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