完成直前だった陸軍のジェットエンジン 戦後に接収されず図面は信州に?

2014.07.01

 前回、終戦間際に日本初のジェットエンジンを産み出した種子島時休(たねがしま・ときやす)海軍中佐について書いたところ、種子島氏があの鉄砲伝来の種子島の島主、種子島時尭(ときたか)の末裔(まつえい)であることが、また、「実に面白い」との感想を何人かの方からいただいた。

 やはりDNAというのはあるのだろうか…、そんなことを感じてしまう。種子島氏に限らず、日本人は「モノ作り」の遺伝子を常に受け継ぎ、「より良い物にする」精神を今日まで残してきたと言っていいのかもしれない。

 戦局厳しい中、破れかぶれと言っていい極限の状況であったが、日本初のジェットエンジン「ネ20」は、海軍の攻撃戦闘機「橘花(きっか)」に搭載された。そして、これは独、英に続く快挙であり、米国をリードしていたのである。

 一方、陸軍では戦闘襲撃機「火龍(かりゅう)」に搭載すべく、「ネ130」というジェットエンジンの開発を進めており、疎開先の長野県松本市で作業は進められていた。その総指揮を執ったのが、このころ、石川島芝浦タービンの技術部長などを経て社長になっていた土光敏夫氏であった。

 海軍が先に、約12分とはいえ試験飛行を成功させたのを横目に、「間もなく陸軍も!」という意気込みであったが、あと一歩のところで終戦を迎えることになった。

 ところが、彼ら松本のネ130班はその後もひそかに開発を進めていたという。

 「このままでは引き下がれない」

 熱い思いは、玉音放送を聞いた後も変わらなかったのだ。陸軍の技術将校たちは立川・福生地区の航空基地を占領し「徹底抗戦する」と決起、一方で民間技術者たちは開発の継続という形で徹底抗戦したのである。

 そして、「ネ130」はその最中に小石か何かが圧縮機に紛れ込み、木っ端みじんに壊れてしまった…というのが通説となっている。

 しかし、近年この説は、実はGHQの接収や、軍からの破壊命令を逃れるための偽装ではないかという見方もある。

 「ネ20」は試験飛行を終えていたこともあり、米軍に接収されたが、「ネ130」については、まだ出来上がる寸前であり、なんとかして守るべく関係者が知恵を絞ったに違いない、というのだ。

 「図面は信州のどこかに埋まっているのかもしれません…」

 確かに、戦後のジェットエンジン技術の興隆からすれば、納得できる話であるが、真相は分からない。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)、「武器輸出だけでは防衛産業は守れない」(並木書房)など。

 

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