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“やさしき主将”のリーダー論…井原正巳(下)

真相直撃インタビュー「気になる、あの人あの話題」

 日本サッカー界の“幹部候補生”でもある井原正巳氏(41)のJ1柏コーチ就任が決まった。小中、高校、大学、そしてプロになってクラブから日本代表まで、すべてのチームで「主将(キャプテン)」を経験した選手は珍しい。サッカー界屈指の「いい人」と評される井原氏にとって、組織をまとめるリーダー論とは何かを聞いた。(聞き手=夕刊フジ編集委員・久保武司)

 −−引退してはや6年。「背番号4といえば井原」という思いがある

 「実は日産に入団したときが4番で、チームと代表が同じ背番号でプレーできればいいなと思ってました。赤いユニホーム(横山監督時代の日本代表)では3番でしたが、4番は好きな背番号。高校は14番だった」

 −−自分の背番号を車のナンバーにする選手も多いが?

 「4と9だけはやめようと。4は『死』で、9は『苦労』だから、わざわざ入れるのはやめようと家族で決めました」

 −−とはいえ、4番はサッカーでも好んでつける選手は多くはない

 「嫌う番号かもしれませんね。たまたま空いていて、1年目から1ケタをつけられて僕自身はラッキーっと思っていました」

 −−チームではいつでも主将だった。特に日本代表では中田英寿氏ら鼻っ柱が強い若手もたくさんいましたよね

 「本や歴史上の人物からではなく、強烈な個性をもった先輩方から多くのことを学びましたね(笑)。自分の意見を強引にチームメートに認めさせるようなやり方は自分のキャラではない。他の選手を観察して、雰囲気をみて、要所をきちんと締める。一歩引いたリーダーシップという感じです」

 −−怒ったところもみたことがない

【学生時代は正反対】

 「学生時代は正反対。まさに反面教師ですよ(笑)。いろんな経験をして何がいいのかなと考えていました。特に日本代表はそれぞれのチームリーダーが集まってきて、いろんな意見が出ます。個性の強い奴もいる。筋を通してまとめることでチームとして一本同じ方向に向いていればいい。それから若い選手が自分の考えをしっかり持っていたので、うまく発言しやすいようには心がけていました」

 −−どんな主将がベストなのでしょう

 「自分なりにどうしたらいいかと考えた。プレッシャーは感じてましたよ。(前任の)柱谷(哲二)さんとよく比較された。『哲さんは闘将タイプで井原はリーダーシップがない』と言われてました。代表監督が主将にどれだけ役割を与えて要求するかで変わってくる。加茂さんの時と岡田さんの時も違いました。オフトの時は哲さんのタイプが期待されていたと思うし、それぞれの時代にやり方、まとめ方がある。それがどう機能するかだと思います」

 −−今年のスポーツ界ではリーダーの成功例に西武・渡辺久信監督の怒らない上司があります

 「まず自分が監督になった場合も、結果が出なかったらすべて自分の責任だと思っています。選手の指導は実際やってみないと分からない。急に熱くなるときが俺にもあるのかな、とか(笑)。今は上からガーッというだけではほんとうにダメなんですよね」

 −−生まれ変わっても主将になりたい?

 「僕は(主将を)やって本当に良かったと思う。プレーヤー以外の視野が広がりましたから」

 井原氏にとって、指導者としての基礎が日本代表を含むすべてのチームでの「主将」というポジション。初めてとなるJクラブのコーチ業は監督に向けたステップアップの場となるはずだ。

 ■井原正巳(いはら・まさみ) 1967年9月18日、滋賀県甲賀市生まれ、41歳。県立守山高、筑波大を経て、90年に日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)に入団。高校時代はFW、その後DFに転向。2000年磐田、01年浦和と渡り歩き02年シーズン限りで引退。日本代表CAP数は歴代1位の122試合。母校筑波大コーチを筆頭に、06年北京五輪日本代表コーチを務め、来季からJ1柏ヘッドコーチに就任する。06年に生まれた長男は「かわいくして仕方がない」と子煩悩。「(中村)俊輔パーク(サッカー教室)で、幼児も自由参加できるので、親子で毎週やっている」と、アジアの壁2世を“監督”する毎日だ。

ZAKZAK 2008/12/13