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“試合終了”まで気配り…元大洋投手・佐々木吉郎さん

2008年12月21日、敗血症のため68歳で死去

 1966年5月1日、広島−大洋のダブルヘッダー第2戦。入団5年目の佐々木さんは史上8人目となる完全試合を達成した。佐々木さんと同期入団の稲川誠さん(72)=現・ベイスターズ横須賀寮長=は前日登板後の“非番”だったため、この試合をスタンドで観戦していた。

 「102球の完全試合というと低めを丁寧についた投球を想像するかもしれないが、そうではなく、打者の胸元をつく高めの直球でガンガン攻めていた。あれほど見事な完全試合は後にも先にもなかったと思う」

 27人目の打者となった代打の阿南を右飛に打ち取ると、客席のカープファンも自軍の勝利用に用意していた紙テープを拍手とともに次々と投げ込んで祝福したそうだ。一躍、時の人となった佐々木さんは堂々たるもので、「4、5回ごろ、誰かが『パーフェクトだぞ』と教えてくれた。でもビビらなかった。7回、大和田さんに(カウント)1−3と追いつめられたときが一番苦しかった。9回はそうでもなかったですよ。もうオレの勝ちと信じていたからね」と喜んだ。

 秋田県出身。180センチ、90キロの恵まれた身体で、社会人野球の日本石油(当時)では豪速球のエースとして活躍。“ノンプロの至宝”と呼ばれ、期待されて大洋に入団した。しかし、「おっとり屋」は入団4年で7勝(19敗)と伸び悩み、完全試合が通算8勝目。その後もひじの故障に悩まされ、69年に引退するまで通算23勝(34敗)だった。

 引退後は飲食業を営むなど、プロ野球界からは遠ざかっていた。それでも温和な人柄が慕われ、コーチ、スカウトを経てフロント入りした稲川さんら球団関係者との交流は絶えず、よく食事会を開いていたそうだ。昨年6月、都内での宴席では酒も飲み、いつも通りの元気な様子だった。その半年後、まさか稲川さんが人生初の弔辞を読むことになるとは…。

 「デカい身体なのに、周囲の人に対してものすごく気配りする男で、実は病気のことは亡くなるまで誰も知らなかった。心配させたくないという彼なりの気遣いだったのだろう。本当は6月の時点で病気はかなり進んでいたのに、そんなことはおくびにも出さなかった」と稲川さん。完全試合男は見事に“試合終了”まで気配りの精神を貫き通した。

ZAKZAK 2009/01/14

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