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【古内義明の日本体育会紀行】鍛治舎監督、パナソニック専務から異例の転身 負けたチームの姿に哀愁感じ「自分も体験したい」 (1/2ページ)

★秀岳館・鍛治舎巧監督(2)

 3季連続甲子園ベスト4の秀岳館(熊本)を訪ねる第2回。パナソニックの専務の地位をなげうち2014年から同校の指揮官に転身した鍛治舎巧監督(66)のユニークな人生に迫る。

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 --早大卒業後、なぜプロではなく松下電器(現パナソニック)を選んだのか

 「野球だけで自分を評価されるのは嫌でした。25社から声がかかり、決めたのはドラフト会議前日。当時の松下電器の野球部長から『プロに負けないアマチュア野球を作りたい』と言われたときは驚きました。その後、秘書室に行くと一人の老人が座っていた。それが(創業者の)松下幸之助さんでした。握手したのですが、顔は満面の笑みなのに、眼鏡の奥の目は笑っていない。何かじっと見定められたような気がしました」

 --野球と仕事を両立したかった?

 「当時病気で“余命10年”といわれた父から『俺が死ぬときにお前が人生の路頭に迷っていないでほしい』と言われ、プロへ行けば10年後クビになるかもしれないから、大企業へ行くべきだと結論に至りました」

 --サラリーマン人生を振り返ると

 「サラリーマン生活40年。野球は最初の7年間やりました。8時から正午まで仕事して、そこから午後5時まで練習。その後会社へ戻り、また仕事。人事畑が長く、採用部長を務めた後、バブル崩壊時には労政部長として早期退職やリストラを経験しました。退職願をポケットに忍ばせて、2万4000人ずつの転職と配置転換を手がけました。その後2001年まで人事部長、06年に常務に昇進し、12年には専務としてグローバルブランド戦略に基づく宣伝・広報担当になりました」

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