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清宮「人生変えた」3年間 和製ベーブ・ルース次のステージへ

 ■プロ野球ドラフト会議(26日、グランドプリンスホテル新高輪・国際館パミール)

 ときに笑みを浮かべ、ときに真剣な表情で質問に答える。清宮は51社、150人もの報道陣の前で「日本ハムではすばらしい選手が育っている。自分も同じように、それ以上に成長できる環境に入れる」と語った。望んでいた「自分を厳しく指導して成長させてくれる」球団の交渉権獲得に満足感をにじませた。

 「この3年間で自分の人生が変わった」と振り返った高校野球生活は空前であり、きっと絶後だろう。初めてスポーツ紙の1面を飾ったのは、約2年半前の平成27年4月10日のこと。早実高入学からわずか3日後の9日に行われた春季東京大会3回戦の駒大高戦に「3番、一塁」で先発出場し、いきなり決勝打を放った公式戦デビューを報じる記事だった。

 ラグビーのスター選手だった克幸氏(50)=トップリーグのヤマハ発動機監督=を父に持ち、東京北砂リトルではエースとして世界一に輝いた。早くから注目を集め、国際大会で本塁打を連発して“和製ベーブ・ルース”の異名を取った。常に注目の中で打席に立ち続け、結果を残してきた。

 注目度が跳ね上がる高校野球でも特大のアーチを描き続けた。ファンの関心を集め続けた高校通算本塁打数は「80本ぐらいは打ちたい」という目標を軽く超え、最多とされてきた107本も抜き去って111本まで伸ばした。

 心ない声や中傷を投げかけられたこともある。「注目していただけるのはありがたい。注目され、期待されているから、それに応えようと頑張れる」。有言実行の3年間を、プロの目はしっかりと見届けていた。

 ラグビー選手の父にあこがれ、自らも「早大でラグビー」を夢見てきた少年時代。それが、図らずも、「野球の神様」に導かれるように、野球にのめり込み、高校時代の3年間でプロ野球選手へと志を変えた。

 高校生として史上最多タイとなる7球団の1位指名という評価や公言する高い目標は、周囲の期待をさらにかき立てる。

 「自分はまだ何も成し遂げていないが、プロになるからには『清宮なくして今のチームはない』といわれる貢献をしたい。メジャーリーガーになりたいという夢にも向かって進んでいきたい」。規格外のスラッガーはさらに膨らんでいく期待感も力に変え、新たなステージへ飛び込んでいく。(産経新聞、奥山次郎)

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