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【桂春蝶の蝶々発止。】神事たる相撲への原点回帰を しめ縄巻く横綱は神的存在、手刀切るのは邪気払うため (1/2ページ)

 11月霜月(しもつき)。全国の相撲ファンにとって、先月ほど心に霜が降りかかった月はないでしょう。横綱日馬富士による幕内貴ノ岩への暴行問題は、鳥取県警が捜査に乗り出し、日馬富士が引退に追い込まれました。ただ、完全決着のメドは立っていません。

 「横綱の品格とは?」

 そんな話題で持ちきりだった九州場所11日目、横綱白鵬が立ち合い不成立を土俵下でアピール。不服の態度を仁王立ちで体現し、抗議の居座りを続けました。大横綱のこうした姿に違和感を覚えた方は多かったでしょう。

 私は、願いと祈りを込めて言いたい。

 日本相撲協会と一部の力士たちは、相撲が伝統ある「日本の神事」であることを、今一度、勉強し直してもらいたいと。

 古来より、相撲は宮中行事の1つでした。古事記や日本書紀にも記されています。全国の神社では、天下泰平、五穀豊穣(ほうじょう)、大漁などを祈る神への奉納に相撲を行ってきました。

 力士は土俵入りの際、柏手(かしわで)を打ち、横綱はしめ繩を巻いています。神社でよく見るしめ繩。「しめ」とは神の所有地であることを意味します。しめ繩を巻く横綱は神的存在であり、神の使いなのです。

 その横綱が、怒りに任せて人を殴ったり、立ち会いが気に入らないと物言いをつけることは、「神使」(しんし=神道での神の使い)にふさわしいのでしょうか。

 時代錯誤という声もあります。ただ、日本人は今でも、神事とともに日常を送っています。

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