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【高校野球 新・名将列伝】佐賀北・百崎前監督、指導者としての転機…胸に刻んだ教え子の自死「SOS出ていたはずなのに」 (1/2ページ)

★佐賀北・百崎敏克前監督(2)

 今夏限りで佐賀北の監督を退くまで、百崎(ももざき)敏克(61)の指導歴は野球部長を含め5校、通算40年近くに及んだ。監督を務めたのは佐賀農芸(現高志館)、佐賀東、神埼、佐賀北の4校で、神埼と佐賀北を甲子園に導いた。全て佐賀県内の弱小公立校だ。

 国学院大を出て最初に赴任した佐賀農芸は部員が8人しかいなかった。百崎が指揮した8年間を含めて夏は21年連続初戦敗退。目標は「9回まで戦うこと(コールド負け阻止)」。百崎も佐賀北での選手時代の実績のなさ(県大会の4強が最高)から選手に遠慮し、厳しさを出せなかった。

 佐賀東での3年間も芽が出ず、「自信を失って野球から離れたかった」と転勤願いを提出。「夜逃げのようにして」神埼に移った。

 この神埼で指導者としての大きな転機が訪れる。中学時代補欠ばかりの部員13人に「うまくなりたい」と目で訴えられ、百崎もやっとやる気になった矢先の就任2年目。部員が自ら命を絶った。その部員は素直で学業も優秀。野球にも打ち込み、誰からも好かれる模範生だった。「SOSのサインが出ていたはずなのに、気づかなかった」。痛恨の出来事は、今でも百崎の心の傷として深く刻まれている。

 「生徒のことを何も見ていなかった。まじめな優等生ほど、いろんな悩みを抱えている、ということが…」

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