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【追悼・星野仙一 鉄拳制裁】「最後を締めくくる抑えは楽しいぞ」 元中日投手・与田剛氏、衝撃だった新人でいきなり「守護神」指令 (1/2ページ)

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 最初に断っておきますが、僕は星野さんに殴られたことが1度もありません。そういう厳しさよりも衝撃的だったのは、ルーキーイヤーの1990年にいきなり抑えを任されたことでした。

 いま自分が指導者の立場になってみて、新人を抜擢するなんて、よほど強い信念と勇気がなければ、できることではないと感じます。

 開幕10日ほど前、ナゴヤ球場の監督室に呼ばれて打診されました。絶対的な抑えだった郭源治さんが故障したチーム事情もあり、「やらせていただきます」と答えるしかありませんでした。

 「最後を締めくくる抑えは楽しいぞ」

 初代セーブ王の星野さん(1974年に創設された最多セーブのタイトルを、同年10セーブを挙げ受賞)ならではの言葉もかけられました。

 初登板は4月の横浜大洋(現横浜DeNA)戦(ナゴヤ)。同点で迎えた延長11回無死一、三塁という大ピンチに登板を命じられました。

 「抑えてこい!」

 そのひとことで送り出され、外野フライも許されない場面で開き直れたのだと思います。無失点に抑えることができました。途中、僕は投ゴロを捕って本塁へ送球、完全にアウトのタイミングにも関わらず捕手の中村武志に体当たりした三塁走者を思わず怒鳴りつけ、乱闘寸前の騒ぎになりました。

 球審の平光清さん(故人)には後々まで「初登板で乱闘を仕掛けた新人なんて、おまえだけだ」とからかわれました。僕の性格もありますが、逃げることが大嫌いな星野さんの姿勢にあと押しされたのかもしれません。

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