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女人禁制は因習・宗教・天皇制だけの単純な枠組ではない (1/2ページ)

 不祥事続きのために、角界は現代に合わせて変わるべきだとの声もある。だが、そこには改革が容易なものと、難しいものがあるだろう。改革が難しいものの中でも象徴的な「女人禁制」の慣わしについて、どのような思想が重なり合っているのか、評論家の呉智英氏が解き明かす。

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 年末年始、角界の不祥事が続いた。下位力士への暴行事件。横綱白鵬の品格に欠けるふるまい。いずれも近代スポーツではない伝統体技だからこそ起きる問題だ。教育にも取り入れられている陸上競技や球技では、こんなことはない。暴力事件があれば関係者の処分は当然。競技に求められるのはルールを守ることのみ。しかし、大相撲は伝統体技だから近代スポーツとは違う思想に貫かれている。現代の良識との齟齬も生じる。

 だが、暴力や品格の問題は比較的簡単に改革が可能だ。暴力をやめたところで困ることは何もないし、品格も単にルール化すればすむ話だろう。しかし、これまでも度々問題になった「女人禁制」はそう簡単に「改革」はできまい。

 二月十一日付朝日新聞(東京本社版)は、この問題を取り上げている。

 それによると、江戸期までは千秋楽以外女性の相撲観戦はできなかったという。幕末の四賢侯と称される山内容堂の助言で明治初年から女性の観戦ができるようになる。しかし、今も土俵には女性は立てない。一九九〇年森山真弓官房長官は総理大臣杯授与に際し土俵に立てなかったし、二〇〇〇年太田房江大阪府知事も府知事賞授与に際し同じことを体験した。

 この女人禁制は、能力論ではなく、宗教的な「穢れ(けがれ)」思想から来ている。能力論なら科学的論証によって改革を促すこともできようが、宗教に対して科学的論証は無意味だ。神事に起源を持つ相撲であれば、改革は容易ではない。

 この女人禁制を因習・宗教・天皇制・政治権力という枠組でとらえる人も多かろうが、ことはそう単純ではない。

NEWSポストセブン
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