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【高校野球 新・名将列伝】“創業者”山下の教えに改革をプラス 星稜・林和成監督

★星稜・林和成監督(3)

 1962(昭和37)年創部の星稜野球部で、林和成(42)は4代目の監督になる。

 初代の奥村勇が5年間。2代目で68(同43)年から38年間にわたって指揮したのが、林の師匠である山下智茂(現総監督)だ。

 駒大を出てすぐ、23歳の若さで監督となり、屈指の強豪校に育てた山下は「星稜野球の創業者」といえる存在でもある。

 林は高校時代は遊撃手で、1年先輩の松井秀喜と三遊間を組んだ。当時高校球界で「けんかノック」と呼ばれ有名だった、山下の速射砲のようなノックに鍛えられた。「足で捕って、目で投げる」という教えを実践。高校屈指の守備力と評価される選手に成長した。

 日大を卒業後、山下の意向で星稜のコーチとなってからは、指導者学をたたき込まれた。山下は身を犠牲にして選手を立派な野球人に育て上げる姿勢を「花よりも、花を咲かせる土になれ」という言葉で表現した。

 2005(平成17)年春のセンバツ大会を最後に、山下は監督の座から降りた。その最後の甲子園に、林は部長としてベンチ入り。名将の采配を目に焼き付けた。

 3代目監督の北川良が5年間務めた後、36歳で監督になった林には、重圧がのしかかった。時代が変われば、指導法やチームの作り方、そして戦術も昔のままでは通用しない。偉大な先人(山下)が築いた名門の土台をさらに強固にするためには、改革も必要だ。

 「総監督(山下)の野球は『耐えて勝つ』のモットー通り、守りの野球。私が監督としてやらなければならないことは、それに『力の野球』を加えること」

 山下の長男である36歳の智将(としまさ)がいま、部長として林を支える。若きコンビに星稜野球の変革と、山下ができなかった甲子園制覇が託されている。(敬称略)=つづく

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