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【神谷光男 スポーツ随想】“四つんばい”問題で思い出した名言 中山竹通「自分ならはってでも出る」 (1/2ページ)

 「自分なら、はってでも出る」。マラソンの中山竹通の“名言”を、久しぶりに思い出した。1988年ソウル五輪マラソン代表の一発選考とされた前年の福岡国際を、ライバル瀬古利彦がけがを理由に欠場したときのことだ。

 中山は福岡で優勝して代表になり、「(3月の)びわ湖毎日で記録を出せばいい」という日本陸連の温情裁定で瀬古も代表になったが、後味が悪すぎた。

 いくら強烈な個性の持ち主で知られた中山とはいえ、まさかはっては出ないだろうが、本当に「はって」駅伝の中継所にたどりついた選手がいたのには驚いた。

 先日の全日本実業団対抗女子駅伝予選会(福岡市)の2区で、岩谷産業の飯田怜(19)が右すねを骨折しながら残り200メートルを必死にはって進み、たすきを渡した。

 トップグループを走っていて他選手と足がからまって転倒し立ち上がれなくなり、はうしか方法がなかった。両ひざがすりむけ流血する痛々しい光景に「感動した」と称賛の声も出る一方で、「何としても止めるべきだった」と批判も出た。筆者も止めるべきと思ったひとりだ。

 箱根駅伝のようにそれぞれに監督車がついているわけではなく、大会本部でテレビ中継を見ていた岩谷・広瀬永和監督は2度にわたって棄権を申し入れた。しかし現場にうまく伝わらず、審判も飯田のけなげな姿に止めるのをためらっている間に中継所にたどりついてしまった。

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