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“冬季応援不参加”のワケは…オリンピックおじさん秘話 92歳死去、山田直稔さん (1/2ページ)

 92歳で死去した「オリンピックおじさん」こと会社経営者の山田直稔(やまだ・なおとし)さん。1964年の東京五輪以来、15回の五輪会場に赴いたが、実は冬季大会を現地で応援したのは98年の長野だけ。破天荒な逸話も多い山田さんだが、“冬季不参加”の背景には繊細な一面があったという。

 山田さんは富山県出身。ワイヤロープ製造などを手掛ける会社の会長を務めるかたわら、64年東京大会での初観戦以来、計15回、五輪開催地に応援に赴いた。日の丸をあしらった金のシルクハットに日の丸の手旗を振る姿が話題を呼んだ。

 五輪会場での山田さんは「毎回きれいな日本の5円玉と、使用済みの切手を(子供たちに)配ったりしていました」と振り返るのは、山田さんの親族の1人だ。

 1980年のモスクワ五輪では、日本含む西側諸国が選手団派遣を見送ったが、山田さんは観戦し、ロシア語で「ミルユードルジバ(平和と友好)」と叫んだという。

 現地で応援した五輪15大会のうち14大会は夏季。冬季は98年の長野大会だけだった。

 その理由について親族は「一番は寒いのが苦手ということ。暑いのはどれだけ暑くても平気でした」という一方で、「スキージャンプは応援が届かないし、スケートなら(選手の)気を散らす。『選手にマイナスになってしまう応援はしたくない』と言っていました」という心遣いがあったと振り返る。

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