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【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】引退会見はボートレース界に迷惑かけないように選んだ日 勤続20年表彰の祝賀会直後 (1/2ページ)

★引退(2)

 不死鳥の引退会見は、ファンにとってはまさに晴天の霹靂(へきれき)だった。徳島・ボートレース鳴門での最後のレースで1着を決めたわずか2日後、東京・品川のホテルで勤続20年表彰を受けた祝賀会の直後、引退会見を行った。2007年7月20日である。

 引退について少し触れたいと思います。このコラムが始まったころにもお伝えしましたが、レース中に75針縫う大ケガから復帰したとき、自分の中では20年を区切りとしようと決意して再デビューしました。しかし、この20年は、「艇王」、「不死鳥」といわれながら、その名に恥じないようにレースに取り組んできた20年です。

 その間、多くのファンの皆さんはもちろん、マスコミ関係者の皆さんにも親しんでいただき、その大きな期待を背負ってきたことが時には苦しく感じることもありました。しかし、おかげでボートレーサーとして自分の力量以上のレース実績を挙げることができたのではないかと思います。

 体力強化の限界、家族の生活の安定、引退するときのボートレース界への影響などを考えながら、取り組んでいました。その間、SGグランプリはじめ多くのグレードレースでも活躍しました。その半面、やがて来る引退についても考えていました。結果的に区切りである20年を迎え、引退を決意しました。決意後は、ファンの皆さんはもちろんですが、ボートレース界にあまりご迷惑をおかけしないようにするにはどうすればよいか考えました。

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