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親日家マラドーナさん「現役最後はJリーグ」に意欲満々 私生活も破天荒、話題つきないスーパースターだった (1/2ページ)

 マラドーナさんは、現役時代の最後をJリーグで終える可能性もあった。1991年、ジリ貧だった日本サッカーの復活の切り札としてJリーグ誕生が発表された当時のことだ。

 全盛期は過ぎていたが、獲得を複数のクラブが狙い、本人も日本に行く気満々だった。中でもJ1名古屋の親会社だったトヨタは本気で交渉。当時では破格の約3億円の年俸を用意し、総額15億円以上の条件提示も終わっていた。しかし「コカイン使用疑惑があって日本への入国が不可能になった」(日本協会関係者)と立ち消えに。名古屋は代わりに元イングランド代表のリネカーを獲得した。

 マラドーナさんは親日家でもあった。トイレも日本流。アルゼンチン代表監督時代の2010年南アフリカW杯では、チームが宿泊していたホテルで「すべて洗浄付きトイレに代えてくれ。それも最上級のものにしてほしい」とリクエストしたこともある。

 きっかけは79年に日本で開催されたU-20W杯(当時はワールドユース選手権)の優勝だ。アルゼンチン代表主将としてMVPとなった。92年には9歳年下の実弟ウーゴ氏がPJMフューチャーズ(現J1鳥栖)に入団。その後、J2福岡やJ1札幌で活躍している。

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