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【神谷光男 スポーツ随想】感動呼んだセンバツの選手宣誓、でも3分は長すぎる 高野連は簡潔に伝える方法を指導すべき (1/2ページ)

 スピーチとスカートは短い方がいい、とは使い古された格言だ。確かに結婚披露宴では主賓の長々とした挨拶にうんざりするが、高校野球の開会式での主催者や文科大臣、高野連会長らの挨拶もみんな同じ様な内容で「以下同文」で済ませてもらいたいくらいだ。

 2年ぶりに甲子園に戻った選抜高校野球。その開会式を見ていたら、仙台育英・島貫主将の選手宣誓がえらく長くてびっくりした。

 「宣誓。今日ここに高校野球の憧れの舞台である甲子園に戻ってきました。この1年、日本や世界中に多くの困難があり、それぞれが多くのものを失いました。答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくてつらいことでした…」

 こう始まって宣誓は実に3分に及んだ。その間、島貫主将はまっすぐ前を見てよどみなく口述した。いかにも聡明そうで、高校生とは思えぬ文章力といい暗記力といい、文句なしに脱帽だ。

 かつて高校野球の宣誓といえば、「宣誓、われわれ選手一堂は正々堂々…」という紋切り絶叫型ばかりだった。スタイルを変えたのは1984年夏の福井商・坪井主将。「若人の夢を炎と燃やし、力強く、たくましく甲子園から未来に向かって…」と独創的な文言を入れ、語りかけるような宣誓は衝撃的でもあった。これを契機に英語や手話入りの宣誓も登場した。

 こうした流れは選手の考えだけでなく、周囲の大人たちが宣誓にさまざまな意味を込め、社会へのメッセージとして期待し、選手にプレッシャーをかけてきたように感じる。東日本大震災直後で、開催が危ぶまれた2011年のセンバツ。創志学園(岡山)の主将が「生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々と…」と宣誓したのは、その代表例のように聞こえたものだ。

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