巨人は紳士たれ!内部文書「キャンプの心得」とは

2009.09.09

 V9当時の巨人は、何かにつけて球界のリーダーだった。故正力松太郎オーナーの「巨人は紳士たれ」「巨人は常勝たれ」の至上命令のもと、一糸乱れぬ行動が自慢だった。

 この精神の基礎は毎年の宮崎キャンプにあった。「全員が同じホテルに泊まり、同じ釜の飯を食べるキャンプこそチームワークを学ぶ最高の時間」ということで、技術以上に精神面を重視する1カ月だった。

 1日のスタートは午前6時の散歩。鈴木章介トレーニングコーチの号令下、大淀川の堤を中心に、いくつかのコースをたどった。だらだら歩きで散歩し、軽い体操をこなしてホテルに帰る。と、食堂で朝食の準備が出来上がっているという次第。散歩の目的は「朝食をおいしく食べるため」だった。前夜、多少深酒した選手でも、この散歩で食欲が戻ると好評だった。

 実は当時の巨人軍規則を手元に保管してある。牧野茂コーチから極秘入手した「キャンプの心得」という内部文書だ。ここに記してみよう。

 ▽相互信頼の精神を忘れるな▽服装、言動、礼儀に気をつけよう▽他人の迷惑を考えよう▽お手伝いさんに親切にしよう▽門限は11時、マージャンは9時半までとする▽寝るときは暖房を止めろ▽身辺は清潔に、部屋をきれいに▽部屋長は責任を持て▽外出は私服で。巨人のジャンパーで出てはいけない。外出先は明確に▽夫人を呼んでいい。その場合、休日前夜の外出を認める。届け出ること▽休日のレンタカーは禁止▽新聞記者を部屋に入れるな▽インタビューは広報を通してすること▽約束したら守れ、守れないときは断れ…。

 移動にはスーツ、ネクタイ着用が義務付けられる一方、他チームに先駆けてグリーン車を利用した。細かいことだが、後楽園の試合前の食事、同じ球場をホームグラウンドにしていた日本ハムが金額制限つきの食券だったのに対して、巨人は青天井の使い放題。こういう気遣いが選手に優越感と義務感を植え付けるのに役立っていた。

 もっとも、そこは血気あふれるスポーツ選手。すべてが道徳の教科書のように行動を律していたわけでもない。夕食後の自由時間は、酒好き、遊び好きには貴重な時間になるのは当たり前のこと。選手と常に行動をともにしている番記者とて同じで、自分の宿舎の部屋に引いてある臨時電話で記事を送稿すればこっちのもの。携帯電話がない時代、タクシーを呼んで毎日の日課になっているネオン街への出勤と相成るのだった。

 もう時効なので、ひとつ、思い出を書こう。昭和44年の宮崎キャンプ。市内一番の繁華街、西橘通りにある某クラブでの出来事だった。チョンガー時代を謳歌していた筆者が、お目当てのホステスと楽しい時間を過ごしていると、そこにこの年から巨人に移籍してきたベテランのY投手が入ってきた。どうやら彼の狙いも筆者と同じ。好みがバッティングしたらしい。

 金、知名度、体力ではかなわないが、当方には絶対有利な条件があった。それは巨人の選手は門限に縛られていること。持久戦に持ち込めば、タナボタの勝利は目に見えている。そして、時計の針が午後10時40分を指したとき、「Yさん、門限まであと20分ですよ」と冷や水をかけると、その投手、彼女の耳元で何やらヒソヒソ。その後、あたふたと店を出ていった。

 圧倒的勝利! 一段とおいしくなった水割りのグラスを傾けていると、何としたことか、30分も経過しないうちに、さっき帰ったはずのY投手が店に戻ってきたのである。これには筆者もびっくり。驚きながらも観察していると、パジャマの上にウインドブレーカー、胸のポケットには歯ブラシが入っているではないか。どうやらこのまま外泊をし、朝の集合時刻の6時前にホテルの宿舎前で歯磨きのポーズを取る作戦のようだ。野武士集団で有名だった西鉄で鍛えられた猛者とはいえ、ここまでやるか…と、当方は戦わずして戦意喪失した次第。

 紳士の球団にも、首脳陣の目を盗んで戦果をあげるプロフェッショナルが跋扈していた素晴らしき大人の時代だった。(蔵田紘)

 

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