「守備の神様」元巨人外野手・高林恒夫さん

2009.10.15

 8月、急性肝炎で入院した当初は「2週間で退院」との見立てだった。しかし入院3週間目に立てなくなり、食事もとれなくなった。劇症肝炎だった。長男の孝行さんが呼ばれた医師から聞いた言葉は、「肝臓が限界を超えている。もう数日しか持たない」。本人には伝えずに「元気で出られるから頑張ろう」と励ました。

 ところが、「私たちや先生、看護婦さんの接し方で気づいてしまった」(孝行さん)。「それからは自分の最期について全部指示をしていきました」。

 「すぐ、お寺さんに電話しろ」「葬儀は○○さんにお願いして、親戚は○○さんに任せろ」。71年の生涯を閉じる30分前まで指示を出し、合間に自らの人生を振り返っていたという。

 東京・神田神保町の古書店「東陽堂」の跡取りとして生まれた。野球が好きになり高校時代は甲子園に出場。立教大から社会人野球の熊谷組に進み、大学、社会人野球を通じて失策がゼロだったことから「守備の王様」と呼ばれた。実績を買われて1961年に巨人へ入団、1年目からオールスター戦に選出された。

 プロ生活は5年でピリオドを打ち、家業の古書店を継いだ。かつて、「プロを辞めても仕事があるということが、知らないうちに踏ん張る気持ちをそいでいたのかもしれない。いずれにしても、決断力など野球を通じて培われていたものが現在の仕事に役立っていることは確か」と話していた。

 孝行さんも同じように野球の道に進み、アトランタ五輪ではオランダ戦で先頭打者本塁打、準決勝の米国戦でも殊勲の本塁打を放った。その際、恒夫さんは店を1週間休み、現地に駆けつけて応援した。

 孝行さんは東陽堂の3代目として家業を継いだ。孝行さんにとって父は、すべてにおいて目標となる存在だっただけに、「たった3週間で逝ってしまったので、私も母も心の整理がつかず、悲しいです」と声を落とした。

 先月9日、東京・上野公園の寛永寺で営まれた葬儀には巨人前監督の堀内恒夫氏、西武前コーチの黒江透修氏ら多数の球界関係者が参列。巨人でともにプレーした長嶋茂雄氏、王貞治氏らから献花、弔電が寄せられた。(久保木善浩)

 

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