【アンコールV9巨人】川上監督が認めたノッカーの才能・福田昌久コーチ

2009.10.28


福田コーチは、真面目さとノックのうまさでV9を支えた【拡大】

 「俺、大変なことをやってしまった! 夕刊に出ちゃうかもしれないよ」

 昭和46年夏、多摩川グラウンドでのことだった。そろそろ1軍の練習が始まろうというとき、福田昌久外野守備走塁コーチが青い顔でおびえていた。ただ事とは思えない状態に関心を向けた筆者に対し、彼は「今、ゴルフの打ちっ放しをしていたんだけど、飛びすぎて、ちょうど鉄橋を渡っていた電車にボールをぶつけちゃったんだ!」と、声を震わせたのだ。

 いかにも彼らしい…。真剣な顔でざんげしたのに申し訳なかったが、この告白を聞いて筆者は笑ってしまった。なぜなら、河原にあるゴルフ練習場と鉄橋との距離はざっと見ても500メートルはあるだろう。しかも鉄橋は地上から10メートル以上の地点にある。いくら飛ばし屋でも、届くはずがない。今流に言えば、タイガー・ウッズや石川遼がフルスイングしてもはるかに及ばないほど。第一、届く可能性があれば、練習場設置の許可が下りるはずもない。

 笑顔で「ありえないよ」と否定すると、彼はムキになって自説を強調し始めた。翌日顔を合わせると、「新聞に出ていないから当たらなかったようだね。よかったぁ」と、無邪気な顔で心から喜んでいた。

 このエピソードは彼の脱線例だが、実は彼ほど真面目一徹な男はそうはいない。川上監督の功績は山ほどあるが、そのひとつに挙げられるのがスタッフ集めではないだろうか。牧野茂をはじめ荒川博、山内一弘、町田行彦、白石勝巳、須藤豊、近藤昭人からトレーニングコーチで招かれた鈴木章介まで、他チーム出身などにこだわりなく集めた。尺度はただひとつ、「自分が持っていない能力を有しているもの」(川上哲治)だった。

 福島県出身の福田もそんな一人。磐城高−常磐炭鉱−専大−南海と、捕手として歩んだが、現役8年間で打率は・217、11ホーマーと低迷。誰がつけたか、カーブ打ちが苦手で三振が多いため「扇風機」というニックネームが付いたほどだった。だが、川上監督はその生真面目さと、ノッカーとしての才能に目をつけた。

 昭和45年、野村克也捕手が古巣・南海のプレーイングマネジャーに就任したとき、川上監督に福田の譲渡を申し込んできた。OKすれば、収入は間違いなく増えるだろう。「行ったらどうだ。いい話だよ」と薦める川上に、福田は「気持ちに応えたくないといえばウソになりますが、ぼくはまだまだ未熟者です。もっともっと巨人で野球の勉強をさせてください」と答えたという。

 2軍コーチだった44年、福田は連日多摩川で若手の打撃練習のバッティング投手を買ってでていた。ボールが70個入るカゴがあっという間に3つ空になっていく。ポツリとつぶやいたのは、40分の“投手”をやり終えたあとだった。

 「気をつけないといけないな。ついイライラして、女房(有加子夫人)を怒鳴りつけちゃうんだ」

 意味のないつぶやきに聞こえるが、筆者にはその気持ちが痛いほど伝わってきた。慢性の右ひじ痛。食事のとき、食べ物をはしでつまむことはできるのだが、ひじが曲がらないため、それを口まで持っていくことが難しい。誰のせいでもないのだが、奥さん以外に鬱憤(うっぷん)の持って行き場がないのである。

 ノッカーとしての才能は尋常ではない。外野手を走らせ、ぎりぎりのところに落ちるようにノックするのだが、この“ぎりぎり”が難しい。楽に捕球できたら練習にならないし、絶対グラブが届かないところへ打ったら意味がない。それだけではない。ふつうのノッカーはスライスボールしか打てないものだが、福田は研究してフックボールも打てるようになった。

 「V9になくてはならない男でした」と、川上監督も認めていた。

 

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