王が書き続けたサイン「日本人全員に届くまではまだかなあ」

2010.04.21

 巨人が130試合目に劇的なV9を成し遂げた昭和48年。6月21日に中日球場で行われた中日−巨人戦の試合前の三塁側ロッカールームでのことだった。

 この日もまた名古屋の巨人ファンが中日の選手や関係者などを通じて頼み込んできたサイン用の色紙が王貞治の前に置かれていた。嫌な顔も見せずにサインペンを走らせていた王が、フッとペンを止めてこういった。

 「巨人のユニホームを着てから、いったい何枚ぐらいサインをしただろう? 日本人全員に届くまではまだかなぁ」

 王ほどファンを大切にする選手を筆者は知らない。スポーツの世界は他の社会より縦社会である。先輩、後輩の関係が一般社会より強いのである。

 札幌・円山球場での試合前、地元の関係者がサイン用のボールを1ダース持ち込んだ。ちょうど練習を終えた王を見ると、チャンスとばかりにサインを求めた。と、王はこういった。

 「サインはボクひとりですか? それとも寄せ書きですか? 寄せ書きなら、長嶋さんから先にもらってください。ぼくはそのあとに書きますから…」

 年に一度の巨人戦、縦割り社会を知らない地元のファンに、王はやさしく説明していた。王がファンを大事にするのは持って生まれた優しさはもちろんだが、小学生のころの体験も大きく影響しているようだ。

 東京の下町、墨田区に生まれ育った王は、やはり巨人ファンだった。ある日、後楽園球場の巨人戦を観戦した。試合もそうだったが、もうひとつの楽しみは、スター選手のサインをもらうことだった。試合後の選手・関係者出入り口。王は次々に出てくるスターたちにサインブックを差し出したが、見向きもされずに素通りされた。がっくりする王に声をかけてくれたのは、ウォーリー与那嶺(要)だった。

 「ボクでよかったら、サインするよ」

 このときの喜び、感激を王は自分が大スターになったあとも忘れなかった。試合終了後の出入り口は、いつも数百人のファンで埋め尽くされている。ここで足を止めてサインに応じれば、収拾がつかなくなってしまう。

 こんな状況のとき、王は「ごめんね。この状況じゃあサインできないよ。今度は試合前の早い時間に待っててね。そうしたらできるからね」と、謝りながらも慈善の策をアドバイスするのが常になっていた。

 王が心底怒った場面に出くわしたことがある。それはある番記者が特集面に「王のすべて」というタイトルで、イラストを載せたときだった。視力、握力、胸囲、体重、ウエストなどの紹介だけならよかったが、イラストの尻の部分から矢印が伸び、「痔(じ)もち」という説明まで付記されていた。

 「なんでそこまで書く必要があるんだ? ボクにだって多くのファンがいるんだ。その人たちに『王は痔がありますよ』と、教える必要があるのかい? おかしいじゃないか!」

 王の広い自宅応接間、王と筆者とそのライター。3人の間にピーンと張り詰めた空気が流れたのはもちろんだった。

 サインに話を戻そう。かつて自分が書いたサインを見て、王は「これは何年ごろに書いたもの」と、言い当てることができる。珠算2級で、記憶力がいいのは知られているが、これは記憶力とは関係ない。実は「王貞治」の3つの漢字が、年を経るごとに扁平(へんぺい)になっているからなのだ。

 「日本人全員に渡ったかな?」という発言は、自身初の三冠王に輝いた昭和48年。あれから37年、ユニホームを脱いでも依然衰えない人気。王が日々書き続けたサインは、とうに1億枚を超えたのではないだろうか?

 ■蔵田 紘(くらた・ひろし) 昭和15年、東京・渋谷に生まれる。サンケイスポーツ発刊直前の38年1月に産経新聞社入社。サンケイスポーツ、夕刊フジで主に野球、競馬記者として活躍した。現在、スポーツライターとしてフリーで活動している。

 

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