話題沸騰第3弾 佑ちゃん練習これでいいの? 昔の西武は牢獄

2011.02.17


和気あいあいの日本ハムキャンプ。昔は練習中に新人が笑うことなど考えられなかった【拡大】

 プロ野球の春季キャンプもたけなわ。ボクも新聞やテレビで、昨年まで在籍した西武はじめ、各球団の練習内容や選手の動向をチェックしています。球界を離れて改めて思うのは、今の選手、特に新人はうらやましいということです。

 話題の日本ハム・斎藤佑樹の練習スケジュールをみると、午前8時過ぎに始まって午後3時過ぎには終了し、夜間練習はなし。えっ、これでいいの? 今から26年前の1985年、水戸商高から西武に入ったボクが最初に体験したのは、高知・春野2軍キャンプ。そこは、まるで「牢獄」でした。

 当時、広岡達朗1軍監督の徹底した管理野球の下、1軍はもちろん、若手を鍛え上げる2軍の練習は12球団で一番厳しかったといっていいでしょう。今では考えられない、その地獄の日々を紹介します。

 練習最初のウォームアップだけで3時間。100メートルダッシュ100本に息絶え絶え。コーチから「あしたは半分にしてやる」というから、安心していると、次の日は200メートルダッシュ50本。みんな小さな声で「何だ、同じじゃないかよ」とブツブツ…。時にはキャッチボールだけで3時間やらされることだってありました。

 今はウォームアップといえば、大半がジョギングにストレッチ。選手の顔には笑みさえ浮かび、なごやかなムードです。

 ボクらの時代は全体練習とは別に早出、居残り、夜間練習が当たり前の中、さらにキツいのが宿舎での生活です。新人、若手選手を待ち受けるのが、先輩たちの身の回りの世話。ボクが新人のときは、民宿の12畳の部屋に8人で1カ月生活しました。毎年、新人・若手は「部屋子」と呼ばれ、一時も気が休まるときがない生活を強いられるのです。

 毎朝6時に起床して全部屋、回って先輩たちを起こす。朝のチーム全体の散歩が終われば、ダッシュで宿舎に帰って、朝ご飯の用意。ご飯、みそ汁、お茶をテーブルに並べ、魚を焼き台に。朝食後は、部屋で先輩のコーヒーをいれて練習へ。居残り練習が終われば、早帰りの先輩たちが使っている風呂には入れないから、ドロだらけのまま夕食。夜間練習に出掛け、終われば部屋の掃除をし、やっと風呂へ。

 その後は部屋で飲み出す先輩たちの焼酎作りとマッサージ。先輩が眠った後、ようやく自分のマッサージを受けることができる。寝るのは、午前2時、3時です。そして次の朝は、6時に起床…。

 当時は、もちろん携帯電話なんてありませんから、民宿の公衆電話が唯一の通信手段です。ところが、彼女のところに電話しようにも、公衆電話は常に先輩が使っていて永久に回ってこない。朝はトイレも先輩が使って空いていませんから、何とか民宿の仲居さんのトイレを借りてすませるといった具合です。

 練習は厳しい上、当時のコーチはボッコボコに選手を殴る。先輩から正座されられての説教もありました。だから練習中、キャッチャーフライをわざと捕らずに自分の顔で受けてやろうと何度思ったことか。そう、けがをすれば休めるから。厳しいといわれた水戸商の練習でも考えもしなかったのに…。そこまで追い詰められたのです。

 現役引退後、千葉・市原の交通刑務所で受刑者を前に講演したときのこと。受刑者の1日タイムテーブルを見たら、がく然としました。「塀の中にいるみなさん、ここより西武のキャンプの方が絶対厳しい。何の罪もない選手より、みなさんの方が楽な生活をしているんです。どうか犯した罪の重さを忘れないようにしてください」と笑い話ともつかないような話をした覚えがあります。

 今は2軍でも基本的には2人部屋。先輩といっしょに和気あいあいと食事して、テーブルにはビールはもちろん、ワインも置いてある。パラダイスですよ。ただ、ボクらは、そんな厳しい生活の中で先輩から我慢と行儀を教わり、鍛えられた。1軍に行ったら1人部屋になれる…と、やる気にもつながりました。

 今、26年前と同じキャンプをやったら、話題になること間違いなし。ただし、何人の選手が残るか疑問ですけど。 

 ■大久保 博元(おおくぼ・ひろもと) 1967年2月1日、茨城県大洗町生まれ。水戸商高から豪打の捕手としてドラフト1位で西武入り。92年にトレードで巨人へ。「デーブ」の愛称で親しまれ、95年に引退するまで、通算303試合出場、41本塁打。2008年に打撃コーチとして西武に復帰。昨シーズン途中、雄星への暴力行為などを理由に球団から契約解除される。

 

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