史上初の完全試合、慶応・渡辺泰輔投手も六大学人気復活に貢献

2011.02.21

 久しぶりに東京六大学野球リーグの人気復活が話題になっている。早稲田の斎藤佑樹ら3人の投手のプロ入りが注目を浴び、昨年秋のリーグ戦では早慶両大学が同率で並び、50年ぶりに早慶による優勝決定戦があった。「50年ぶり」という報道で、今にも増してすごかったそのころの東京六大学の人気ぶりが私の脳裏によみがえってきた。

 まず思い出したのが、慶応のエースだった渡辺泰輔投手だ。彼が東京六大学初の完全試合を達成したのは1964年5月17日、対立教戦。わずか82球で27人を凡退させ、7個の三振を奪った。

 記者生活2年目だった私はこの試合を観戦して取材、渡辺さんの喜びを記事にした。スタンドでは慶応の学生が校歌、応援歌を繰り返し歌い、神宮球場が熱く燃えたのを思い出す。

 近況を知りたくて郷里の福岡県直方市にいる渡辺さんに電話をした。年に1回、年賀状を交換してはいるが元気な声を聞いたのは40年以上ぶりだった。

 「うん、うれしいね。早慶が強いと東京六大学の人気は間違いなく盛り上がるんだよね」。実は渡辺さん、この人気回復の仕掛け人の1人でもある。慶応の江藤監督を助けて年に4度ほど、母校の臨時コーチを続けている。新しい慶応の担い手を、投手陣を中心に育成している。完全試合を成し遂げた記念ボールは、グラブと一緒に今も渡辺家の応接間に飾ってあるそうだ。私の記事に「このボールは一生の記念にします」と書いたとおりだった。

 史上初の早慶6連戦は、もう51年前になる1960年だった。そのときの熱狂ぶりは、早稲田の2年生だった私が鮮明に覚えている。やっと座れた神宮球場の外野ベンチ席。応援団のリーダーが声をからして学生にお願いをした。「まだ入れない仲間が球場の外にたくさんいます。みんなが左右5センチずつ詰めることで、そのうちの何百人もが中に入れます。協力してください!」。嘘のような本当の話だ。

 当時、早稲田は大学全体が告示なしに自然休講、慶応は「“慶早”戦のため全学休講」の掲示が出ると聞いた。応援団のリーダーたちが「早慶戦は、世界最大の学生スポーツ行事です」と繰り返し叫んだのも快い思い出だ。

 「60年安保闘争」で日本中が騒がしかった年、岸首相が「(プロ野球が行われている)後楽園球場、(学生野球の)神宮球場は人でいっぱいだ」と言って、「声なき声」の国民代表に野球ファンを挙げたのも、野球熱狂時代の証明になる。

 南海に進んだ渡辺さんとは、私が大阪に転勤して南海担当となる不思議な縁でまた付き合いが始まった。日本シリーズにも出場したが、実家の「渡辺造機」を継ぐために1969年で野球界を去った。別れの際、何人かの担当記者を大阪・なんばの牛しゃぶの店に招待してくれた。招待された私たちは青年実業家のスタートに、アタッシェケースを贈った。

 今、68歳の渡辺さんは社長を辞めて悠々自適、後輩の技術指導が生きがいのようだ。新しいシーズンを前に、新しい好選手を送り出してほしいと願う。

 趣味の野球観戦を、生涯の職業にした私は、いい人たちに巡り合え、本当によかったと感謝している。 

 ■奥村 英敏(おくむら・ひでとし) 1939年、台湾・台北生まれ。熊本県立済々黌高、早稲田大学政治経済学部卒。63年4月、報知新聞入社。取材記者としては東京、名古屋、大阪で野球ひと筋。競馬部長、競技部長などを経て紙面審議会委員。99年11月、定年退職。高校時代は母校の選抜大会初優勝、大学では史上初の早慶6連戦の観戦に恵まれた。

 

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