【球談徒然】沢村で再び脚光「エースのジョー」巨人退団の真相は?

2011.05.10


15番の大先輩・城之内氏の凄さが改めてクローズアップされている【拡大】

 元巨人投手の城之内邦雄氏(71)が、このところ脚光を浴びている。巨人スカウトを最後に球界を去って8年。ゆったり、のんびりの静かな人生を過ごしてきた。それが、急に周辺が騒がしくなった。「エースのジョー」の背番号15を引き継いだルーキー沢村拓一が、活躍しているからだ。

 夕刊フジ(3月18日付)でも宮脇広久記者がジョーさんをインタビューしていたが、沢村がプロ初勝利をマークした日にはマスコミ各社から感想を求める電話が相次いだ。「これも巨人のユニホームを着ていたおかげだね」とジョーさんは苦笑いする。

 私は、巨人が7連覇を達成した71年のシーズンオフ、担当記者になった。長嶋茂雄、王貞治らきらめくV9戦士たちを必死に追いかけ回した。しかし、ジョーさんはこの年限りで巨人を去った。石もて追われるごとくにだ。経緯が分からない新米巨人担当の私は、不思議でならなかった。

 ジョーさんは入団した62年、24勝を挙げ新人王を獲得すると以後17勝、18勝、21勝、21勝と5シーズンで通算101勝をマークした。宮脇記者もジョーさんへのインタビュー記事で「入団5年目で100勝達成はだれにも破られない驚異的ペース」と書いている。

 巨人V9は65年から始まった。65、66年と連続21勝でV9の土台を築いたジョーさんなのに、なぜ巨人を去らなければならなかったのか。巨人スカウト時代、親しくさせてもらい、城之内家に出入りするようになって、初めて秘話を聞かされた。

 入団当時の先発ローテーションは中3日だった。その合間にリリーフ登板もある。登板過多から腰を痛めて、69年は4勝に終わった。翌70年シーズン後半、ある試合でKOされたジョーさんは、腰の治療のため早退した。

 いまでこそ、途中降板した投手は試合終了までベンチに残る。だが、当時は緩やかで帰るも残るも自由だった。なのに、首脳陣はジョーさんの早退を「職場放棄」とみなした。

 巨人最後の71年シーズンは、米キャンプの主力組から外れ、2軍の都城行きを命じられた。1軍に上がっても敗戦処理が専門。相手先発投手が分からないときに「当て馬」に起用される屈辱も味わった。あれから40年近くが過ぎたいま、うらみもつらみも、もう恩しゅうのかなただ。

 そんなジョーさんは3月11日、東京・中央区で遅い昼食を終え、くつろいでいるとき、東日本大震災に遭遇した。地下鉄に乗ろうとしたが、動いていない。銀座から新橋まで歩き、タクシー待ちしたが、大行列だ。やむなく品川、五反田と歩いた。途中休憩のため喫茶店に2度立ち寄ったから、大田区の自宅にたどり着くまで5時間近くを要した。

 「頑張ろう! 日本」を合言葉に始まったプロ野球は、間もなく1カ月が過ぎようとしている。今年は巨人・沢村をはじめ日本ハム・斎藤佑樹、西武・大石達也、広島・福井優也ら大物ルーキーが入団した。その矢先の大震災。ジョーさんは「若いプロ野球人の活躍が、震災で傷ついた人々を救ってくれる」と心の底から思っている。

 だから、背番号15を引き継いだ巨人の後輩沢村のことが気になって仕方がない。彼は5月8日現在、1勝2敗、防御率1・98。ジョーさんは「リキんでいるね。上体だけで投げているから、ボールは上ずって棒球になることが多い。もう少し下半身を使わないといけない」と解説してくれた。

 ■佐々木 紘一(ささき・こういち) 1943年川崎市生まれ。戦災で焼け出され、市川市で小中学生時代を過ごす。都立九段高校(現千代田区立九段中等教育学校)ではバレーボール部主将。早大文学部卒後の68年、日刊スポーツ新聞社に入社し、整理部を経て野球部に。アマ野球、巨人担当記者を務める。現在はフリーライターで千葉の高校球児を追いかける。

 

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