2度の引退、くそまみれの仕事…不屈の闘志で前へ

★元阪急、中日、ヤクルト都内メーカー勤務・野中徹博さん(46)

2011.05.25


野中徹博さん【拡大】

 1983年夏、中京高のエースとして、池田高の水野雄仁投手(元巨人、現野球解説者)と投げ合った姿は往年の甲子園ファンの脳裏に焼き付いている。阪急時代は故障に苦しみ、一度は引退したが4年後に奇跡の現役復帰。台湾から日本球界に舞い戻るという波瀾万丈のプロ生活だった。2度目の引退後も不屈の闘志で世間の荒波と戦い続け、現在は都内でサラリーマン生活を送っている。(聞き手・米沢秀明)

 【1度目の引退】

 阪急時代は右肩を故障したうえ、肝炎でも入院しました。今思えば、肝炎は針治療が原因だったかもしれません。野球は1、2年は見る気にもなりませんでした。次の道を探し、高校の先輩の事業を手伝ってラーメン店の仕事をしたりしたあと、東京で広告代理店を起業しました。

 そのころ、水島新司先生(漫画家)の草野球チームでプレーしていたのですが、そのうちに火が付きました。もう一度プロ野球をやりたい。そして、友人の新聞記者の協力で台湾球界から声がかかったのです。

 草野球しかやっていない身体を公園の壁当てと体育館でのトレーニングで調整し、半年契約で台湾へ渡りました。当時広告代理店には社員が6人いましたが、会社を譲渡しての挑戦でした。

 3年で日本球界に戻ろう。それがそのときの思いでした。投げ方は忘れていましたが、北別府学さん(元広島)のイメージで投げ続け15勝。翌年、中日、そしてヤクルトへと日本復帰を果たすことができたのです。

 【2度目の引退】

 ヤクルトを引退したあと、求人情報誌を片手に職を探しました。最初は医療機器メーカーに3年間勤務し、市場調査などの仕事を担当しました。

 調査結果にもとづき、マーケティングの予測が当たるとうれしいものです。この仕事をきっかけに、そのあと調査会社のフランチャイズ事務所の代表となりました。

 仕事は人探し、不倫調査などです。興味本位で始めたんだろう、といわれることもありましたが、決してそんなことはありませんでした。実はうちの親も別居している期間が長く、子供のころ母親に会いたくて家出した経験があります。悩んでいる人の問題を正確な情報できちんと解決する手助けをする。大事な仕事だと思っています。

 ただ、調査会社は、経営に難しさがありました。自己資金だけで立ち上げたわけですから、広告、人件費などで月250万ほどの経費が必要でした。3人の調査員は、「最後まで一緒にがんばりたい」と言ってくれましたが、給料未払いだけは避けなければならない。2年半で清算することになったのです。

 【下水管調査員へ】

 次が下水管の調査員です。普通の作業現場の仕事は8000−1万円ぐらいですが、この仕事は日当1万2000円ぐらいからいけるんです。くそまみれ、ヘドロまみれの仕事です。

 最低3人のグループで下水管の破損状況をチェックしていきます。まず先発隊がマンホールから入り、下水管の材質などを下見し、そのあとラジコンのカメラ隊、補助員、高圧洗浄部隊も入ります。

 元野球選手だからこの仕事はできない、などと考えるのは、僕は違うと思います。過去の栄光やプライドが邪魔をして、次のステップに踏み出せない人も多いんです。どんな世界に行っても礼儀正しくするのは同じこと。こだわらないで普通にやればいいんです。

 2006年にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の手伝いの仕事(打撃投手)を募集していたので、「1カ月休みを下さい」と言ったらもらえなかったので、1年半で下水管調査員は辞めて、日本代表チームに加わりました。バイクが好きなのでバイク便の仕事もやりました。そして今のサラリーマン生活をしています。

 自分はプロ選手としては大成できなかったかもしれません。しかし、野球は好きで、一生携わっていたい。子供のとき、中日の谷沢健一さんを見てプロ選手になるという夢をもらいました。だから、夢と勇気を与えるような生き方をしたいと思っています。

 それは見栄やお金や名誉じゃないと思います。野球でなくても、あの人を見てると、話をすると元気が出る、そう言われる生きざまをしたいですね。

 ■のなか・てつひろ 1965年5月22日、愛知県一宮市生まれ。中学時代から剛球右腕として全国大会で活躍し、中京高で甲子園に春夏3回出場。83年ドラフト1位で阪急に入団した。右肩故障に悩まされ、89年内野手転向後、自由契約となり1度目の引退。広告代理店経営などのあと、4年後の93年、台湾の俊国にテスト入団して現役に復帰し、15勝を挙げた。94年中日で日本復帰。97年ヤクルトで国内初勝利を挙げた。98年に2度目の引退後は社会人・佐久コスモスターズ監督兼選手を務めた。現在は都内メーカーに勤務。居酒屋「少年野球指導教室中野塾」(東京都中野区中野5の54の4)でも月1回指導員を務めている。

 

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