ヤクルト海外初キャンプ 笑いと驚きの珍道中

★「コレステロール、プリーズ!」

2011.06.07


練習休みを利用してメキシコ市内に繰り出したヤクルト選手たち。右端は若松勉【拡大】

 昨年の晩秋、都内のホテルで元ヤクルト渉外担当・川小英明さん(享年84)の「チーフを偲ぶお別れ会」が催された。ヤクルトは昭和53年春、米国アリゾナ州ユマ市で初めて海外キャンプを張ったが、チームを裏から支えたのが米国球界通の川小さんだった。

 会場は球団関係者をはじめ、当時の首脳陣や選手らで同窓会の趣。スピーチも海外初体験の戸惑いや失敗談、さらに川小さんに助けられた話で盛り上がった。筆者も夕刊フジの特派員として同行取材したが、聞くと見るとでは大違いだった33年前の珍道中を、懐かしく思い出した。

 今の若い記者は笑うかもしれないが、出発前の話題といえば球場外に棲むというガラガラ蛇。また夜道でコヨーテ(オオカミの一種)に出くわしたときの対策などで話は尽きなかった。もう一つ頭の片隅から離れなかったのは、広岡達朗監督が意味深長に言われた“注意事項”である。

 「夜の町に立っている女性に声をかけられてもついていくなよ。ロウソク病(?)は鼻がなくなるといわれるから」

 結団式も厳かな中で行われた。羽田空港に隣接した東急ホテルには選手の家族、取材各社のお偉方らがズラリ。故松園尚巳オーナーの乾杯の音頭も映画の出征兵士を見送るようで、旅立つわれわれも胸が高鳴り身震いしたものだ。

 そんな思いは太陽燦々のユマ市に着いたら吹っ飛んでいた。ガラガラ蛇もコヨーテにも出会わなかったし、ましてや夜の町角に街娼なんか立っていなかった。だがガラガラ蛇以上?の驚きはいくらでもあった。最初の戸惑いはクラブハウス内にあった高さ1メートル、幅5メートルほどのバスタブのような器だ。風呂にしては蛇口がない。あとで小便用トイレと判明したが、つま先立っての小便には閉口したものである。

 トイレの苦労は“大”にもつきまとった。キャンプ地の球場に隣接された公衆トイレにトビラがないのだ。安全面からといわれたが、前を金髪女性が通り過ぎるのはまだいい。落ち着かなかったのは、日本のお相撲さんのような筋骨隆々の黒人男性が通る度に、前を手で隠していた。

 当初は約40日間のキャンプ期間中に休日は設けられていなかった。連日行われるメジャーとのオープン戦が主目的のためで、休みは選手の疲労ぐあいに合わせて午後から設けられた。そんなときの選手は、ロデオ見学やコロラド川が一望できる刑務所跡見学などで英気を養った。

 岩をくり抜いて造られたユマ刑務所は夏場の気温が50度近くになり、サソリも出る。そこで驚いたのは、われわれが訪れる100年以上も前に、日本人が収容されていたという記録が残されていたこと。交通が発達した現在でもロスから高速バスで8時間もかかる砂漠の町に、その日本人はどうやって到達したのか…。その疑問は今も脳裏から消えていない。

 某選手が日本の自宅まで国際電話を頼む際、「コレステロール、プリーズ!」と交換手に連呼した話など、英語にまつわる笑い話は多すぎて書けないが、「優勝できなかったら私が責任をとる」と、初の海外キャンプ実施を主張した広岡監督の強い意思が見事に開花し、帰国後のシーズンでは球団史上初のリーグ優勝、日本一を成し遂げることができた。

 大成功した初の海外キャンプ。その裏にあった川小さんの尽力を、“V1戦士たち”は今も忘れていない。

 ■角山 修司(つのやま・しゅうじ) 1945(昭和20)年、新潟県小国町(現長岡市)生まれ。夕刊フジ、サンケイスポーツではプロ野球を中心に取材。江川卓投手の高校時代から巨人引退時までを追い続けた。日韓野球や海外キャンプ取材も豊富で、米国ではヤクルトの3回、巨人のフロリダおよびグアム、大洋(現横浜)のメサ、ロッテのピオリアなどに随行している。

 

注目情報(PR)