死球で激怒したクロマティから右ストレート、元中日・宮下さん

★元中日・西武、米卸売店「宮下商店」宮下昌巳さん(46)

2011.06.22


家業の米卸売店「宮下商店」を継いだ宮下昌巳さん【拡大】

 1987年、巨人−中日(熊本藤崎台球場)で起きた乱闘は今も語り継がれている。死球に激怒したクロマティ(元巨人)がマウンドへ突進した。仁王立ちのままマウンド上で右ストレートをもらったのが宮下さん。現在は東京・調布で家業の米卸売店「宮下商店」を継ぎ、20キロの米袋の配達に追われている。(聞き手・米沢秀明)

 【ステーキ店】

 あの乱闘から20年以上が経ちました。いまだに何かと取り上げてもらえるのは、ありがたいことと言っていいのでしょうか。あまり格好のいい場面ではないけれど、話題にしてもらえるのはうれしいことです。

 米の配達先は都内に100カ所ぐらいあります。飲食店などが多く、回転寿司店だと毎週200キロぐらいを届けることになりますね。現役時代の背番号と同じプレートナンバー16のバンを運転して配達しています。

 米店は、昨年他界した父親が創業し2代目になります。引退後はいろんな職業を経験しましたが、これだけの店を放っておくことはできません。この米店で育ててもらったし、子供時代から馴染みのある仕事だから感謝の気持ちもあります。父にはプロの投手の端くれとして、投げるところを見せることができたことだけはよかったと思います。

 引退後は、東京・吉祥寺でステーキ店を始めました。3年経ってから六本木へ店を移したのですが、そのころちょうど住専問題が勃発したんです。店の入っていたビルが問題に関係している不動産会社の物件でした。東京地検が来たりと騒がしくなり、ちょうど店の賃貸契約が切れる2年経ったこともあり、ここが潮時とステーキ店経営からは手を引くことにしました。

 その後はしばらく、派遣で都内のスーパーの棚卸しや大売り出しに行ったり。山盛りになった「いなばの缶詰」を売りまくったこともあります。回路設計会社で携帯電話の基盤の営業をしたこともあります。何もわからないけど、「モノを売るんじゃない。人間を売ればいい」と思ってやったら、「正社員になってくれ」とまで言ってもらえましたね。

 【ジャニーズ団扇製作】

 その次に勤務した団扇の製作販売会社「四国団扇」(本社・丸亀市)では、正社員になってサラリーマン生活を送りました。国内の団扇のほとんどは四国でつくられていますが、その東京営業所に勤めたのです。

 そこで、ジャニーズ団扇も請け負っていました。そうです、SMAPとかジュニアとかのファンの子たちが、ライブで振ってるヤツです。

 3年目にそのジャニーズ団扇の担当になりました。骨、紙、印刷を決めて、工場に発注し、期限までに納品するのが仕事です。デザインを決めて、ジャニーズ事務所のOKを待つわけですが、これが締め切りギリギリになってもなかなかOKが出ないわけです。

 特にKinKi Kidsのチェックが厳しい。夜中にOKが来て、バイク便を飛ばして写真を出して印刷して…、朝から晩までやってました。ひと夏100万本という本数ですからね。

 ジャニーズ事務所からは、「SMAP以外は手張りでお願いします」って要望してくるんです。機械で団扇を張ると表面が凸凹になるから、それが駄目なんです。30万本ぐらい扱うSMAPは本数が多すぎてとても手でなんか張ってられないから機械でやるしかないんですけど…。

 年末のカウントダウンコンサートのときなんか、パートの奥さん方が仕事に出て来られないんです。仕方ないから地元の後輩集めて、「みんなで手で張ってくれ」って感じでした。

 5年務めましたけど、通勤ラッシュが地獄で。そのあと実家を継いで8年になります。

 【あの1球】

 クロウ(クロマティ)に当てたのは初球の直球、負け試合の終盤2死です。時効だから言いますが、まあ、プロの投手の球は、投げ損ないであそこへは行きません。そこまで味方の主力打者も厳しく攻められていました。

 その回マウンドに行く前、信頼する岩ちゃん(岩本好広・元中日、阪急)に「この回、ベンチで待機して」と告げたのに、肝心のときに全然出てきてくれなかったのが今でもひっかかっています。捕手のタケシ(中村武志・現中日2軍コーチ)にも、怪しまれないように「クロウの初球、適当にサイン出して」と言っておきました。

 タケシは普段から放送できないような手つきやサインを試合中に出す癖があったので、「巨人戦だからそれだけは止めろ。TVに映ったら、球界追放になるぞ」と念を押しておきましたね。

 まあ、「ぶつけてごめん。その代わりに逃げないからどうぞ」ということです。瞬間的にほおの平らなところを出したので被害はありません。ただそのあともみくちゃになってスパイクで踏まれたのはキツイ。宿舎に帰ったら全身歯型だらけでした。

 診断書を取らなければいけないという話になって、その夜は宿舎に戻るのが遅くなり、食事は球団のお偉方と一緒にすることになりました。そこで「きょうだけは夜の街に出ないでくれ」と言われてしまいました。熊本に行ったらどうしても行きたかった店があったのに、みんなに置いていかれたのが、野球人生で3本の指に入る悔いの残る出来事でした。

 そのあとサラリーマン時代に、たまたま仕事をさぼって球場へ行ったとき、クロウと再会し握手できたのは良かったですね。ただ、その写真が新聞に載って、上司に相当絞られてしまいましたけど。

 ■乱闘VTR 1987年6月11日の巨人−中日(熊本藤崎台球場)で、宮下さんの剛速球がクロマティの背中に直撃。クロマティは帽子を取って謝るよう要求したが、宮下さんが帽子を取らなかったため、クロマティは突進。宮下さんのあごに右ストレートパンチを放ち、両軍、観客が入り乱れる大乱闘となった。

 ■みやした・まさみ 1965年1月4日生まれ。東京都調布市出身。日大三高から大型右腕として82年のドラフト6位で中日に入団。速球派の中継ぎとして活躍した。89年、西武に移籍し91年に現役引退。通算成績は117試合、9勝12敗3セーブ。現在は、少年野球「東京青山リトルシニア」の指導にもあたっている。

 

注目情報(PR)